ダニエル・イノウエ氏の想いで

はるか昔、まだ20代の若者だった頃の出来事ですが、今だ鮮明に覚えています。

追記: 2017/5/2

井上氏に会った(もちろん見たレベルですが)ことはたったの二度ですが、いずれの場合も私には忘れられない出来事です。もちろん井上氏は私のことを全く覚えてもないでしょうが!

追記:2017/9/24

イノウエ氏は再婚されていたとのことです。お前さんもどうだいって?それは無理でしょう。家内の方が長生き間違いないでしょうから!
●ダニエル・イノウエ氏の想いで  2013/05/28

先日テレビを見ていたら、アメリカ海軍の新造駆逐艦を「ダニエル・イノウエ」と命名したそうだ。30年以上前になるが、ハワイ大学でダニエル・イノウエ氏の講義を聴いたことがある。その時の手書きレポートのコピーを引っ張りだしてきた。

このレポートの1ページ目には、
6月8日付提出、54.6.15教育訓練課長W氏の印、これに引出線手書きで「勉強や生活状況のみならずダニエル井上氏に対する自己の意見など非常に良い報告だ。(平素の仕事にもこのような態度を望む)」(*1)
と追記されている。
平素の私の人事評価は大変悪いことがこの一文からも読み取れる!
 *1:昭和54年、1979年のことだ。教育訓練課長の戒めをきちんと守っていれば出世できたかもしれない。少々反逆的な私の精神構造と無能が様々な問題を引き起こしたが!

5月度報告書より抜粋

5月中旬、"Application of management science"の講義がシムキン先生の都合によりハワイ大学においてパネルディスカション形式で行われました。その都合とは以下の事情だということが分かったのですが。

この講義の後に、その日ワシントンD.C.からダニエル・イノウエ上院議員が帰ってきておりハワイ大学の教授に最近の日米関係について講義するという事を知らされました。そして、『こういうチャンスは滅多に無いからもし聞きたいならば私についてくるように』といわれました。私はイノウエ氏は日系人部隊出身でヨーロッパ戦線で片腕を失ったハワイ出身の議員であるという事くらいしか知りませんでしたが、せっかくのチャンスだからと思って出席しました。なお、私以外でJAIMSの生徒の参加者はありません。

さてこの講義、イノウエ氏は日系だから親日家であると思っていましたが、全く逆で日米の貿易収支の不均衡について、車、電気製品、電子部品、農業生産物等をいかに日本がキタナイ(unfairと言った)やり方でもうけているか、または自国の保護を図っているかということをアジる様な調子で話しました。

私は、貿易不均衡の原因を日本人の立場からアメリカ人に説明して欲しいと思いました。彼の話を聞いたアメリカ人のほとんどは日本がキライになると思われる程ひどく言ってました。彼はまた、日本人のおじぎの習慣とか、家中心の社会などについても悪く言い、『頭を下げている間に、次の邪悪な一手を考えているのだ』と聞いたときには"ちょっと待て"と殴りつけたくなりました。質疑応答の時間もあったので、何故アメリカの製品が日本で売れないかとか、農産物の自由化は日本の農業を殺すことになり、しいてはアメリカにとってもマイナスだとか色々と説明したかったのですが、もし私の下手な英語と不用意な発言でシムキン先生およびJAIMSに迷惑がかかるとマズイと思い黙っていました。この講義が終わった時には万雷の拍手で、彼は意気揚々と引き揚げていきました。

この講義を聞いて非常に残念に思うと共に、誤解を解くために日本政府はTIME誌の数ページを買い取って逆宣伝をするなど何らかの対策を取るべきでしょう。アメリカは今、年率10%のインフレと失業対策に追われています。国民の不満は大変なもので、カーター大統領の人気は落ちる一方です。これは日米貿易収支の不均衡によるものだけではないが、どうも国内の不満をそらすために、日本が悪いと宣伝しているのではないか?と思われる程です。アメリカの一般の人々は、失業するのは日本がダンピングして製品を輸出することでアメリカの製品が売れなくなるからだと単純に信じているふしがあります。イノウエ氏の過激な発言は、こういう政治的流れの中での発言として捉えれば理解できなくもありませんが!

今のアメリカは一昔前のグレートアメリカンドリームと言われた頃とは全く変わって、ますます保守的になっています。今後の日本の海外戦略も大幅な変革が必要だと感じる昨今です。

後日談(上記レポートには不記載の事項):

この講義を受けた数日後、JAIMS所長のハワード・ミヤケ氏と話す機会があり、上記の件を伝えた。するとミヤケ氏は、『あいつはバナナと呼ばれているのだ!』とのこと。これは、外見は日本人だが中身は白人という意味。イノウエ氏は、ミヤケ氏に良く思われてなかったようだ。一方、ハワイ州選出の上院議員スパーク・マツナガ氏のことを、『あいつはいい奴だ』と仰っていた。ハワイの日系人の間でも、様々な確執があることが窺われた。なお、ミヤケ氏は十数年前にお亡くなりになった。最後にお会いしたのは新婚旅行でハワイに行った際に御挨拶した時だ。ミヤケ氏のことで家内が覚えているのは歌手の村田英雄との親密な交友関係を楽しげに語っていたこととのこと。ミヤケ氏は、所謂日系一世的な侍気質の豪快な人だった。弁護士資格を持っており、第二次大戦ではイノウエ氏同様ヨーロッパ戦線(*)に出征したそうだ。
 *: ミヤケ氏からは所属が第100部隊だったと聞いたが、イノウエ氏は442部隊所属とのこと。調べてみると、戦時中第100部隊は442部隊に併合されたようだ。だから日系人部隊の総称として442という数値に収斂したのだろう。

今となって考えてみると、上記のハワイ大学での講義は階段教室に100人をはるかに超える数の職員が集まっていたが、日系人が全くいなかった。ハワイ大学の教職員は日系人が比較的多く、趣味のアマチュア無線を通じて知り合いだった工学部教授のノセさん:KH6IJ(*)も出席してなかったことから、イノウエ氏は当時ハワイの日系人から総スカンを食らっていたのではないだろうか。
 *: このコールサインは、現在ノセさんの娘さんに割当てられているそうだ。私は当時ホノルルのFCC(Federal Communications Commission:連邦通信委員会)のオフィスで試験を受け、KH6HKというコールサインが交付された。このライセンスは今でも更新しており、米国に行けばこれを使ってオンエアできる。

この後90年代終わりだったか、2000年代初めとも思うが、出張の際ロスアンジェルスのホテルニューオータニに泊った。近くに全米日系人博物館:  Japanese American  National Museum(*)があり、ちょっと覗いてみるかと立ち寄ったが、運悪く休館日だった。ガラス張りの玄関から中を覗き込んでいると、たまたまダニエル・イノウエ氏が出てきて流暢な日本語で『今日はお休みだよ、明日来なさい』といってどこかへ去っていったので驚いた。次に機会があれば、今は亡きイノウエ氏からのせっかくのお誘いだから、同博物館を見学したい。ただ年老いた今でも、数十年前のイノウエ氏の発言には許しがたい思いがこみあげてくるのは修行が足りないせいだろうか!
 *:イノウエ氏は勿論議員だったが館長も兼務していた。
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追記:ホノルル空港がダニエル・K・イノウエ国際空港になった! 2017/5/2

Yahooニュースを見ると、「ホノルル国際空港」が「ダニエル・K(*1)・イノウエ国際空港」と命名されたそうだ。ついこの前、アメリカ海軍の新造駆逐艦にダニエル・イノウエ」と命名したとあったが、空港名までも!私が子供の頃は夢のハワイだったが、その響きのいいホノルル空港という名前が無くなったのだ。ダニエル・K・イノウエ国際空港では少々長すぎるのでダニー空港と呼ぶようになるのだろうか?いや、ニューヨークではケネディ空港とあるので、ハワイのイノウエ空港と呼ばれるのだろうか?日本人旅行者に"井上空港"へとの響きは、羽田から"徳島空港(*2)"へというのとそう変わらないか?いずれにせよ直ぐに定着するだろう。ホノルルは私が若いころの想い出の地なのであの世に行く前にもう一度行ってみたいと思っている。当時知り合った人の何人かは今もホノルルに住んでいるので会えるだろう。御高齢で亡くなった方もある。
 *1:Kはケンとのことで、日本名は井上ケンさんのようだ?
 *2:私は帰省の際徳島空港を利用している。考えてみれば国内の空港は羽田と高松と徳島以外に利用経験が無い!

追記:Irene Hirano Inouye 2017/9/24

日経新聞を購読しているが、毎週末に"Ai"という小冊子が挟み込まれている。内容は大変高価(高級)な衣類、バッグ、腕時計、コーヒー…まれに数千万円の超高級車などが掲載された宣伝誌である。私には全く縁のない商品でありいつもざっと眺めるに過ぎない。「なに!そのご身分で眺めるのかい?」と言われそうだが、とても手が出ないのでペラペラとである!その一頁に"Irene Hirano Inouye"とあり、ふと目がとまった。読んでみるとダニエルイノウエ氏の奥さんで、初代の全米日系人博物館館長を務め、日経米人のステータスアップにまい進したそうだ。たまたま私と同年齢であり、なぜか旦那さんと歳が離れていると思ったのだが、再婚だそうだ。なお、スペルはInoueでなくInouyeだと初めて知った。ちょっと調べてみると、ホノルル空港名も同様のスペルとなっている。ついついこのようなちょっとした違いが気になるのは職業病か?

ところでIreneという名前だが、アメリカではアイリーンと発音する。フランスだとイレーヌ、ドイツだとイレーネで、西洋ではありふれた女性名である。友人にドイツ人は二人しかないが、そのうちの一人ベンチャー企業を経営するLaurinの奥さんはイレーネである。ハワイの友人Georgeの奥さんもアイリーンだが、もう40年近く前のこと"Ireneにもよろしく"と手紙に書いて出すと、返事には"Eileen"だと訂正してあった。当時はEmailなど無く、郵政省経由のAirMailの封書だった。あらゆることに時間がかかったが、それが情報を醸成し互いの結びつきを強くしたような気がする。今時恋文などないと思うが、それが存在した時代だ。上記の記事を読み、たまたま思い出したのでメモとして残しておく。単に年寄りの想い出にすぎないが。
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