伊藤整と詩集

皆さん、伊藤整をご存知ですか?
●伊藤整と詩集  2011/02/11

"黒田三郎全集3"に彼の最初の詩集について記述がある。この中に伊藤整が大正12年に出した処女詩集について述べている。実は、これを読んで伊藤整が詩集を出していたことを始めて知った。親父よりも二回り高齢だった伊藤は、「チャタレイ夫人の恋人」を翻訳し、わいせつ文書として起訴され、有罪になったことで有名である。実は我が家にもこの禁断の書があり、高校生の頃に読んだが、別段わいせつとも感じなかった。むしろ何が面白いのか、どこがわいせつなのか、ちっとも分からなかった。それ以来この本とは無縁だが、今読むとどう感じるかもう一度読んでみたい気はする。さて、どこにあるのだろう?

伊藤整の本で、当時もう一冊読んだが題名を忘れてしまった。別段面白くも無かったのだろう、筋書きさえも思い出せない。大学受験を控えた高校3年、根っからのなまけもので全く勉強に身が入っていなかったが、どうにか運良く受かる大学もあった。当時大学生の数がどんどん増えており、東京では下宿探しが大変だった。そこで県の学生寮に入るための面接を受けた。会場は、高松だったか東京だったか思い出せない。その時の面接官は県の職員なのかそれとも誰かに委託していたのかも分からないが、親父と同年代くらいに見えた。面接の際にその人が親父のことを知っているようで、親父のことを親しみを持って聞かれた。

数分の面接だったと思うが、「最近読んだ本は」と聞かれ、伊藤整の「???」と答えた。もう題名も忘れるくらいのものだったが、感想をきかれた時の私の答えをよく覚えている。「ありきたりの内容でとくに感動するようなことも無かった」である。その面接官のあきれたような表情を今でも思い出す。嘘でもいいからもっと気が利いた答えをすべきだったし、私に好意的だった面接官の態度や質問などに対して無礼な返事をしたことに今も深く反省している。なお件の県人寮には、親の収入が規定を超えるという理由で入れなかった。私の家よりも明らかに裕福な家庭の人も入寮していたが!私の面接の受け答えに問題があったのかどうかは分からない。

私が高校生の頃売れっ子小説家だった伊藤整は、今や誰も注目する人がいなくなった。そもそも若い人たちは伊藤整を知らないだろう。本格小説というのは如何に困難な物かということが理解できる。芥川賞や直木賞という登竜門、そして本格小説家としての幾多の賞、現在その頂点にある日本人小説家は村上春樹氏だろうか?一連の国内文学賞をはるかに超えるノーベル文学賞を毎年期待される氏も、もし彼の記述が普遍的で100年以上持つという内容でないとすれば、いずれ忘れさられる運命にある。その尺度で考えれば、芥川龍之介も消え去ることになるだろう。すべての人がそうであるように!消えさることが後に生まれてくる者の契機となり、それも人類の進化の過程だ。単なる私信だが!小説家を目指す少年達よ、初心貫徹。
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