飲み歩きの頃

私の知り合いの多くが定年退職しましたが、たまたまよく飲み歩いた人がテレビに出たので驚きました。若かりし頃の彼とのことです。

美しい奥様やご家族も一緒に、にぎやかに楽しんでおられる様子大変嬉しく思いました。
●飲み歩きの頃 2014/4/17

今日はテレビを見ていて驚いた。昔よく一緒に飲み歩いたO氏(*)が料理を楽しむという数分程の番組に出現したのだ。彼とは、私がまだ若い頃、単身赴任先の沼津工場で出会った。彼も私同様、工場に隣接した単身赴任寮に住んでいた。当時技術者の話題になりつつあったSGMLの技術紹介がセミナールームであり、その時の彼の言は「IBMではGMLが知れ渡っており、その派生だろう」だった。富士通におけるGMLは、新聞用編集印刷システム部門のSEのみが知っているテキスト処理技術だった。今は、その派生語であるHTMLがWebでの標準記述言語となっているので多くの人に知られるコンピュータ言語となった。
*:本名を書きたかったが、御本人からダメとのこと!

さて、Oさんは私より2、3歳年上で友人からの情報だと東大を出てIBMに入り、その後富士通に転職したとのことだった。誰かから聞いたが、ドイツから技術者が来て何かの技術紹介をしたときに彼が挨拶をしたのだが、グーテンタークと言ってからいきなり英語になったので驚いたとのこと。噂によるとIBMの仕事でドイツに長く滞在したことでドイツ語が堪能とのことだったからだ。ただ、私は彼のドイツ語を聞いたことは無く、ドイツでの仕事の話も聞いたことがなかった。その後、40歳を過ぎ子会社から本社の事業部に異動したが、そこに彼も赴任しており互いに驚いた。それからは、何度も二人で飲んだがいつも酩酊状態になっていたから、今となっては何を話したか殆ど思い出せない!

当時私は、従業員50人にも満たない小さな子会社の課長で、形式的には部下と言える人は著名国立大学出身の二人の年長技術者の方達だった。そこから突然の辞令により部長級で本社の開発関連の事業部に転勤することとなった。そこで再会したOさんは部長になっていた。彼は「鎌田さん、何が起きたの?誰の世話であの会社を抜け出られたの?」と一体どういう事情かと明け透けに聞かれた。当時私が所属した小会社は、事実上の終着点だったからだ。会社人事には様々なパラメタがあり、明らかなものと何故か分からないものがある。非の打ち所のない成果を出せば昇進昇給もあろうが、その時の私の人事は彼には不可解だったのだろう。そのような状況の中、単身赴任時の沼津工場の想い出を引きずりながら、二人の飲み歩きが始まった。

Oさんの話の中で最も記憶に残ってるのは、酩酊して立ちションしていたら誰かが警察に連絡したようで、パトカーのサイレンの音に追われながらほうほうの体で遁走したとのこと。酔っ払うと何がどうだったかどこで何を飲んだかなど、翌朝になると一切合切クリアーされる。そして次の日には、何事もなかったかのように弾丸の飛び交う戦場である会社に向かうのだ。実は、そういう類のことがストレス解消に必要で、全てを忘れてしまいたいと思うこともままある。当時の私はある程度飲めるようになっており、彼と私には飲酒が最も手っ取り早いその方法だった。酒の飲めない人はギャンブルであったり、色々とあろうが、彼と私の場合女性はお呼びでなかった。従って、そういう類の店に行ったことは一度たりとも無い!
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