スラム街のこと

年をとると昔のことを想い出すというのは、心の底にある郷愁というものでしょうか?それとも、現在の脳内細胞が破壊され過去の遺物が露出してきているのでしょうか?忘れたいことはますます鮮明となり、なぜか青春の日記を回想するような日々が続きます。

追記:2015/12/23

マーク・ザッカーバーグ氏の伝記(というには少々早すぎますが)に、イーストパロアルトのことが記載されていたので引用しました。

追記 2016/5/14

親父が亡くなり10年以上経ちますが、親父の本棚にあった本です。出不精だった親父ですが、アメリカはこうだ、フランスはこうだと見てきたように喋ることがありました。すべて本からの情報でしたが、あっという間にインターネットの世界になりリアルタイムで動画情報までもが手に入るようになってしまったことでこの類の本は少なくなるでしょう。

スラム街のこと 2015/10/07

テレビニュースを見ていると、ある夫婦がリオデジャネイロで設定を間違えたカーナビの誘導でスラムに入り撃たれ、妻が死んだという。この記事を読んで、カーナビの誤誘導とスラムのことを思った。私は現在、2台の車を使っており、S社とG社のカーナビを使っている。実は、G社のカーナビには悩まされている。目的地に近くなると、その周辺の道路をグルグルと回らされてしまうのだ。恐らくプログラムバグだと思うが、十年ほど前にヨーロッパを廻ろうと考えていて、地図データを入れ替えればヨーロッパでも使えるようにG社のものを買った。それはさておき、20年近く前のことになるが、まだカーナビが一般的でないころ、米国出張の際、ノートPC(*)にイギリス製のカーナビソフトを入れて出かけたことがある。マサチューセッツの片田舎プロビンスの小さい宿に夜遅く何の間違いもなく到着できた。あまりの感激だったので、師匠と仰ぐ上司にその旨をメールしたことを覚えている。当時、インターネットはまだなかったが、電話を使って、PC通信の米国アクセスポイント経由で電子メールを送ることができた。
 *:Windows3.1から95に変わりつつあった。とにかく不安定なOSだった。PCそのものにはRS-232Cというコネクタ口があり、そこにGPSアンテナをつなぐものだった。PCには電話モデムが標準搭載され、LANコネクタ口はオプションだったと思う。

さてスラムのこと、もう40年以上前の話だが、ニューヨークでタクシーの運転手に「ハーレムを見物したい」と言った。すると彼は言下に「ダメだ!」という。何故だと聞くと「窓からゴミが降ってくる」といった。本当?と聞くと「ごくまれには椅子が降ってきたり、死体が降ってくることもあるのだ」と言った。スラムの住人の中には薬にやられたり、貧困に荒んだ人もいて、ゴミを道路に設置されたゴミ箱に運ぶことさえも面倒くさがり窓から捨てる人が大勢いたのだ。それほどニューヨークは危険で汚いという時期だった。当時ソーホーに貧しい芸術家の卵が住むということが話題で、話の種にとソーホーを散策したが、なんだか後ろから人がついてくる気配がする。ふと振り向くと2mくらいありそうな汚いTシャツの黒人がいた。目と目があって、周りに人はなくこれはやられると思ったので空手の形(*)をしたところ彼はサッと振り向き全力疾走で逃げていった。70年代に背の低い痩せこけた背広の日本人が一人でソーホーをうろうろしているのだから、彼には格好の餌食に見えたのだろう!

私は空手が出来ない。しかし、柔道は受け身くらいはできる。この時は、これ以外に対処する方法が思い浮かばなかった。もし相手が銃を持っていたら殺されただろう。当時ワシントン近くのメリーランドに駐在していた同じ部の人(*)の忠告だったが、「もしホールドアップにあえば躊躇なく両手をあげて財布のありかを眼で相手に教えよ」とのことだった。私が知る範囲、世界中で最も安全なところは日本だ。それでも泥棒もいれば詐欺師も、人殺しまでもいる。地球レベルではどこに行っても気の狂った人がいて、そういう狂人とはち合わせた人が不幸になるのだ。泥棒はその旨を額に表示していればいいのだが、泥棒に限って絶対盗まないという表情だから始末に負えない。
 *:辻さんという方で、数年前にお亡くなりになった。辻さんはその後富士通からフィンランドのノキアに転職されたが、ある時ラスベガスの歩道でバッタリお会いして互いに驚いたことがある。

再びスラムの話だが、仕事で何度もシリコンバレーに出張した。パロアルトという町には、そこに提携先ベンチャーがあったことから頻繁に出張した。パロアルトの東はイーストパロアルトという町で、そこは危険(*)だから近づくなと同僚から言われていた。パロアルトのメインストリートが西から東に続くが東に突き当たるとイーストパロアルトとなり、街並みがいきなりみすぼらしくなる。パロアルトは比較的裕福な人が住むが、イーストパロアルトはそうではなかったようだ。パロアルトのマクドナルドの屋外ベンチでビッグマックをパクついていたとき、黒人の青年がゴミ箱の残飯をあさっていたことを思い出す。勿論、私だって職も金も食うものもなければゴミ箱をあさるだろう。しかし、他人の物を奪うことはない。その状態ならば、ネズミやゴキブリやミミズまでをも食うだろうが。
 *:今はどうだか知らないが、WebTVという会社の総務部のブライアンという男が、「イーストパロアルトの単位人口当たりの殺人数は全米一だ」と言っていたことを思い出す。
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追記:イーストパロアルトの危険性について 2015/12/23

仕事で何度もパロアルトに出張したので、町の状況については理解していたが”The facebook Effect"を読んで十数年前のことを思い出した。イーストパロアルトは今も危険なようだ。facebook社長のザッカーバーグ氏はハーバードの授業をエスケープしてシリコンバレーのパロアルトでfacebookを起業したばかりだったが、「…彼がタンクに給油していると、若い男が近づいてきた、手に銃を持っているのが見えた。男はひどく酔っていて(あるいはドラッグをやりすぎて)いるかして、立っているのがやっとだった。金を出せと言っているらしかったが、そのろれつもろくに回らなかった。ザッカーバーグは恐怖に陥ったが、とっさに一か八かの賭けに出た。つまりエンジンをかけた。幸い、そのまま何事もなく走り去ることができた。…」とある。イーストパロアルトの深夜の出来事だが、もしザッカーバーグ氏がこの酔っ払いに殺されていたら、facebookは存在しなかっただろう。私も似たような経験が40年前のニューヨークであるが、私が生き残ったのか死んだのかは単なる偶然だろう。そもそも人は生まれてきたこと事体が数万の精子の中の幸運な一つと、卵子がたまたま出会ったという偶然でしかないのだから!そんなことを考えながら行為をしている人は無いだろうが!

追記 アメリカ夏象冬記より 2016/5/14

"アメリカ夏象冬記"は、安岡章太郎が1968年にアメリカを周遊旅行した際のエッセー集である。親父の本棚にあったので読んでみた。その中にマンハッタンのスラム街について記述されていたので転記する。

…ただハーレムは必ずしもスラムではない。観光バスがとおる街であり、Y氏によれば、日本人が気楽に遊べる歓楽街であって、それもつい昨年か一昨年までは誰でもが入って行ける場所だったのである。私自身こんどニューヨークで、べつにハーレムに行きたいとも思っていなかったが、なかを自動車で通りぬけたことは何度もあって、別に変ったところでもなかったから、最初はそこがハーレムだということも知らなかった。…

とあり、ハーレムに住む黒人と結婚した日本人妻に安岡が面会しようとした際の出来事である。この記述によると1965年頃には危険なスラムでは無かったようだ。私が行った1974年には、車で通過することもできない危険で汚い街になってしまっていた。最近はかなり改善されているようで、アポロシアターに観光客が行けるレベルになっているとのこと。ただし、夜中に日本人がひとりでうろうろする場所ではないと思うが!
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