FrankとRichard

毎年たまたま同時期に会い酒を酌み交わすだけですが、年中行事になってしまいました。果たしていつまで続くのでしょうか?
FrankとRichard 2018/8/6

私には毎冬バリ島で会う同年齢のアメリカ人Frankとイギリス人Richardという友人がいる。なぜ我々が会うことになったかは、互いの趣味がサーフィンで自国の冬場の気候が厳しいからだ。なぜデンパサール空港から遠いバリアン村かというと、ここはいつでも波があり我々には天国なのだ。この二人とは毎晩飯の際に話すので必然的に互いのプライバシーはすべて筒抜けとなる。ただし、彼らは既にプライバシーなどどうでもよい私と同じ69歳の老人であるが。


右からFrankとRichard:我が国は私が生まれる数年前まで、彼らと戦っていたのだ!なお、私はこの地では、いつもパジャマである!

Frankは米国の東部バーモントの生まれで50エーカー(東京ドーム5個分)の土地にログハウスを建てて、ジープとシボレーとベンツをもっている。この土地には小さい川が流れ、池が3つあるそうだ。週に一度は町に買い出しに行き、夏場は毎日トラクターで草刈りをするのが日課とのこと。冬場は雪も降り、舗装されてない私有地の道路がぬかるむのでジープは不可欠だそうだ。彼と話していて最も驚いたことは大学を出てから一度も就職したことが無いこと。時々アメリカ映画でこのような人物が出現するが、実際に会ったのは初めてだった。土地も家も車も生活費もすべて親父さんの遺産で、膨大な資産を計画的に償却しているそうだ!銀のスプーンをくわえて生まれてきたという例えがあるが、そのような男に会ったのは初めてだった。

彼の最近のトピックは「結婚する気になった」とのこと。私にすれば今更?と思うが、ドイツ人の恋人に会うために毎年数か月ドイツに滞在しており、彼女と結婚するそうだ。結婚式には招待してくれよと言ってあるが、果たして本当に結婚するか?

彼は若いころワイキキヨットハーバーに係留されたクルーザー(*1)に住んでいたそうだ。ハワイに旅行したことのある人は知っているかも知れないが、ワイキキヨットハーバーはワイキキの端っこにあり、そこに数百台のヨットが係留されている。その一つに住んでいたという。波がよいときにはアラモアナ(*2)でサーフィンしたそうだ。70年代後半のことで私もたまたま当時ホノルルに住んでおり、話が盛り上がった。
*1:当時石原裕次郎がホノルルに別荘を持ち、ワイキキヨットハーバーにクルーザーを係留していた。
*2:サーファーにはよく知られたポイントで、南太平洋でサイクロンが発生すると夢のような波が立つ。

我々はベトナム戦争世代である。当時大勢の米国の若者がベトナムで死んだ。ところがFrankは先天的に左右の足の長さが異なることから兵役免除だったとのこと。どんなに全力疾走してもビリになると言っていた。実に人生万事塞翁が馬である。

Richardはイギリスのサセックスに住み、B&Bをやっている。少々大きめの家に住み、空き部屋があれば、B&Bは老夫妻にはいい仕事だ。もちろん体力は必需だが、彼はサーフィンをやるほどだから問題ないだろう。昨年のことだったが、日産の電気自動車リーフを買ったというから儲かっているのだろう?彼は「俺たちはラッキーだ。一度も兵役につかなくて済んだ」と言っていた。イギリスはベトナム戦争に参戦せず、その後の戦争による兵役は我々より若い世代だったからだ。

彼との話で印象に残っていることは、私が「俺が子供の頃我が家は大変貧しかった」と話した時、彼は「俺も大変貧しい兄弟7人の農家で、牛の乳しぼりをしながら腹がへると直接乳房から牛乳を吸っていたよ」と言ったことだ。戦勝国イギリスと言えども、戦後は皆さん大変だったようだ。なお彼はバツイチとのこと。これまで親しくなった外国人でバツナシという人は少数派である。

RichardもFrankもハイテクには縁がない。クレジットカードでさえも信用してなく、いつもニコニコ現金払いである。Frank(*)はわざわざ銀行窓口で貯金通帳を使って金を下ろしていると言っていた。Richardからの電子メールはいつも奥さんが奥さんのアドレスを使って送って来るので、スパムメールと間違いやすい。いつの時代もロートルは消え去るのみだが、我々世代の数年後は暗い!
*:彼の親父さんは銀行家で地元銀行の創立者とのこと。どおりで銀行窓口が好きなわけだ?
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