「湘南の暮らしと家:ビーチサイドスタイル」を読んで

学生の頃の思いでがよみがえってきました。
●「湘南の暮らしと家:ビーチサイドスタイル」を読んで 2013/4/3

暇を持て余しBookOffをうろうろしていると、上記の本があった。パラパラとめくると、友人の写真家横山泰介さんの家が出ていたので買った。この本に紹介されている彼の家には何度か遊びにいったことがあったが、既に別の所に引っ越したので懐かしく思ったのだ。当時真っ昼間何時行っても、本人不在だが鍵がかかって無いことが多かった。いったいどうなっていたのだろう。今度会ったら聞いてみよう。さて、記事によるとこの家は2002年の時点で築70年とのことだから戦前のものだ。そしてパラパラとめくっていると、最後のトピックとしてジョイマークデザインという会社の社長の家が紹介されていた。もちろん社長自身の写真も出ている。

ここに紹介されている社長の下山好誼氏は七里ガ浜でサーフィンを始めたとのことだが、30年以上前に七里ガ浜のサーフポント"ヘの字"でやっていた人ではないだろうか?実は、私は当時"への字"でよくやっていた。バックサイドサーフィンを覚えたのはこのポイントだ。このポイントはグーフィーフッター向けの波が主で、そのおかげでバリのウルワツでも全く問題なくオーバヘッドをこなせた。このポイントは普通は良い波が立たないが、他がフラットでもいつも小さい波があるという特徴があった。さらに台風の時にはチューブになることもあった。この人がもし下山氏だったとしたら、その人は濃い青か緑色だったかのアメ車でここに来ていたと思う。

ところで、ほぼ同時期に「なんでも鑑定団」の北原照久氏の「夢はかなうきっとかなう」を読んでいると、「相手のことを思いやる」という章にこの下山氏のことが出ていた。ある時北原氏は始めて下山氏に招待され、御指定のレストランに遅れていったが、謝る前に下山氏が言い訳を先取りしなぐさめてくれたとのこと。これくらいでなければ、ビジネスの繁栄は望めないだろう。さて、私に最も必要な能力はこれであるが、この歳になってからのこの能力の醸成は可能だろうか?もっとも、こういうことはDNAレベルの性格に起因することなので無理かも知れないが、いつも意識していたいものである。

さて北原氏の説明によると、彼の母校青山学院大学の西門にボートハウスというショップがあって、そのオーナーが下山氏とのことである。私は当時四国の片田舎から上京した田舎ッペで青山学院に入学したばかりだった。だからボートハウスのようなファッションショップには何の興味も無かった・・・というより"お呼び"でなかった。当時の青山学院は、応援団員でなくとも私のように田舎から出てきた人は学生服で通っていたものだった。それでも私は夏が近くなってくるとなんとなくTシャツとブルージーンズに代わっていった。当時、日本中のアイビーボーイス&ガールズが夢中で店の前に列を作ったとあるが、そういえば西門近くの雑貨屋的な洋品店に何かの行列があったような気がする。あれはそういうことだったのだ。ひょんなことから四十年以上前の西門の通りの光景を思い出してしまった。
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