フォークナーの酒癖

米国ではフォークナーも古典になりつつあるのでしょうか?
フォークナーの酒癖  2011/09/16

家内の実家で「フォークナー:大橋健三郎著」を見つけた。実は、当初著者を大江健三郎と取り違えていた。恥ずかしいことに、著者のことはこの本を読んで知った。エデンの東、怒りのぶどう、武器よさらばなど現代アメリカ文学に興味のある人ならば一度は読んだことがある小説を翻訳している。さて、この本だが、正直言ってちっとも面白くない。なぜ家内がこの本を買ったのか全く理解できなかったので聞いてみた。なんと、なぜ買ったのか覚えてなく、また読んだことも覚えもないとのこと。家内の実家の近くのショッピングセンター志度シートピアというところにあるトミナガ薬局のサービス券がしおり代わりに使われていたので、長女が生まれた頃に購入したか、もし学生の頃だったら英文学のレポート作成の種本だろう。

さて、この本で知ったのだが、フォークナーは酒乱だったそうだ。「ウィスキーやジンを飲みだすと止まらず、何日も飲みつづけて昏睡状態になり、まわりの者にクリニックへ担ぎ込まれて中毒症状の治療を受けたことも何回かあった。・・・」とのこと。作者はフォークナーの酒癖を嫌悪感を持って書いてはないことが、私にとって読んでいて救いになった。親父の詩人仲間の荒地グループでは、田村、中桐、黒田、木原が4大酒乱で、酔いつぶれて前後不覚になるまで飲まないと終わらなかったそうだ。親父が引退して悠々自適の生活に入ったころ、中桐や黒田などが無名の親父を気遣って「地球賞」という贈り物をくれた時、授賞式の後の飲み会を親父は「付き合ってられない」と言ってさっさと宿に帰ったことを覚えている。彼らの酒癖の悪さをよく知っており、とてもお相手は無理と分かっていたのだ。その時私は親父を宿まで送って行ったのだが、一次会くらい付き合えばよかったのにと今でも思う。

ところでフォークナーは、大学教養の英文学の時間に初めて接した。よく覚えてないが、詩か、ある小説の一部だったか、米国文学のダイジェストが記載された本だった。時間がたっぷりとれるようになったので、もう一度読み返してみたい。あの本はどこへ行ったのやら!どこを探しても見当たらない。

最後にフォークナーの酒癖の悪さについて作者は次のように言い訳をしている。「・・・納得のいくまで渾身の力をこめて徹底的に作品を書き上げたあと、性根をすりへらしたその孤独な作業の反動で強い酒を飲み始めることもしばしばあった。当面の問題であるこの「響きと怒り」のタイプ原稿完成のあとがそうであり、このときフォークナーは二日間何も食べずに密造ジンを飲みつづけ、ヴィレッジのアパートの床に倒れているところを・・・」であるが、親父の詩人仲間にも似たような逸話がいやと言うほどある。酒を飲むことによってでしか心理状態をリセットできない人は、周りが不幸である。私もたいしたストレスがある訳でもないのに酒量がドンドン増えているが、いつか酩酊状態で近所のドブ川に落ちて死ぬかも知れない。家内はそれを望んでいるかも知れないのでせいぜい生命保険(*)に入っておいてやろう。
*:旧知の日本生命のセールスウーマンに勧められ本当に入った!彼女の弁によると、「保険に入ると長生きしまっせー」とのこと。長生きしたくないのだが!私の母など周辺のお年寄りの言動を見ると、私は極少数派のようだ。
元に戻る