プラットフォーム企業とは

わたしもグーグルほどの会社を作りたいのはやまやまですが、不振につき会社の方向性を変えようとも考えています。

追記:2017/6/14

私が富士通で開発業務に勤しんでいたころ生まれた米Yahooの消滅です。但し日本のヤフーは孫氏の傘下にあるので健全なようです。強力な経営者が企業を支える典型例ですね。

追記:2017/8/31

企業やサービスの将来を予測することは大変困難ですが、第一次産業の将来はどうでしょう?かなり近い将来、産業の分類はこの三つでなくなるような気がします。いやもう既にそうでなくなっている部分もあるようにも見えます。私のようなボケ老人の将来は・・・もはや死のみですね!切ない望みは介護ロボットの出現です?

●プラットフォーム企業とは 2016/7/9

今日の日経社説を読み、会社勤めでの事を思い出した。社説ではプラットフォーム企業という切り口でLINEを皮切りに、グーグル、アップル、フェイスブックと成功したベンチャー企業を並べている。プラットフォーム企業とは音楽配信や決済など様々なオンラインサービスの基盤となる多くのユーザを抱えた企業とのこと。

私は1973年に富士通に入社したが、会社生活の前半の多くは従業員が100人にも満たない小さい会社に15年近く出向し翻訳や執筆業務に係わっていた。長い勤めであったが"石の上にも15年"(*)という感覚だった。その後、本社の開発部門に移り転々としたが、マルチメディア推進本部という部門で自身の起案したサービスシステムを開発していた時のこと。この部門はインターネット時代に向かって富士通の進む方向を示していた。その頃はインターネットが解放された直後で、ネットスケープというブラウザが発売され、ヤフーも設立されたばかりだった。しかしこの部門の企ては成功しなかった。
 *:ことわざでは"石の上にも三年"にすぎないが!

古巣の富士通のことを考えれば、先読みのできる優秀な社員がいて将来の企画もきちんとされていたと思うのは、上記のマルチメディア推進本部では解放されたばかりのインターネットを活用した様々なサービスを企画・設計・開発していたからだ。現在実現しているネット販売からスマホまで企画としては殆ど網羅されていた。しかし、実際には富士通が世に誇れるサービスや装置は現在無い。大企業の宿命として長期間に渡って多額の予算を投入し続けることはできないのだ。勿論株主からの圧力もあろう。結局、売上は確実に儲かる受注生産に多くの力を割くことになる。一方、研究はこじんまりしたものとなるか、顧客の見える事業部ひも付きのお題目になるのだ。

日本にも多くのベンチャーがあるが、米国に比べてそのサイズも数も二桁以上少ない理由は何であろうか?私がマルチメディア推進本部でインターネットの技術開発をしていた時には、グーグル、アップル、フェイスブックなど影も形も無かった。それがなぜ米国で誕生発展したのだろうか?この社説では、ベンチャー企業の育成など多くの提案がされているが、恐らくこの社説の中に決め手は無いだろう。米国には長いレンジで大金を投入できる投資家がいるが、残念ながら我が国にはそういう人や組織はないからだ。結局最後にものをいうのはひも付きでない大金を操れる人だろう?
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追記:米ヤフー「解体」の意味するもの 2017/6/14

今日の日経社説では米Yahoo解体について述べている。あのヤフーが米国では風前の灯火となったのだ。サイト運営をベライゾンに売却するとのこと。この記事で思ったことは、グーグルもフェイスブックも明日は我が身である。ネット企業と分類される中で、大量のサーバを抱え、中身は外部に頼っているサービスの危険性は同一である。極端に言うと他のサービスで何かのアイディアがヒットすれば、顧客はそちらに簡単に移れるからだ。現在主流のサービスはすべからくメールとBBSと電話の三つの組み合わせに過ぎない。今私が考えているのはそれらのIDを共通にできないかということだ。突き詰めて考えれば、結局サービスインタフェースを統一しなければならず、一つの仮面で他の全てのサービスに入れることを考えている。興味のある方は連絡を求む。

追記:曽野綾子の「人間関係」より 2017/8/31

2013年4月発行の少々古い本だが、内容は"新潮45"に2011年6月から2012年7月まで連載された「人間関係愚痴話」をまとめたものだ。この本の最後の最後に、facebookのことを書いていたので紹介する。


今この原稿を書いているのは、2012年の5月末で、アメリカで上場した「フェイスブック」の株価が劇的に下がった(*)というニュースが流れている。「フェイスブック」のような軽薄な人とのかかわり方が、今後も本流となりうるかどうか、私がその成り行きをみきわめて死ぬことは恐らくできないだろうが、もし百歳まで生きていたら、それをおもしろがれる目標にすることにしよう。

*:もし曽野綾子がこの時点でfacebookの株を買えば、ウォーレンバフェット氏とまでは行かないが、日本のミリオネアの一角を占めただろう。勿論、彼女の性格からすれば株などに手を出そうはずもないが。

2012年と言えば、既にiPhoneは存在し、それ以前にも携帯からインターネットにアクセスすることは出来た。恐らく曽野綾子はPCも携帯も使わない(*1)生活をしてきたのではないだろうか?本書によると彼女は極端に視力が悪く50歳を過ぎて手術をし視力を取り戻したそうだ。こういうこともその一因だろう。私は彼女の意見の多くに賛同しているが、フェイスブックのような"軽薄な人とのかかわり方"が今や殆どの若者を支配していることをどう考えているだろうか?
*1:曽野の現状を知りたくgoogleをサーチすると以下の記事に当たった。この中に、自宅を事務所にして「パソコンを置いて仕事をする書斎もある」とある。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49743

いきなり、上記URLの記事に展開するが、曽野氏が三浦朱門を自宅で介護することになった経緯や夫婦の親の介護について書いている。大変興味深く読んだが、個人的な事情から介護の手法として参考になる点もあるので暇な人は読んで欲しい。私自身は自分自身の介護を真剣に考えているが、まだ結論は出ない。台風が接近したらサーフボードを片手に海に出るなど・・・冗談にもほどがあるか?勿論、介護が必要になるとサーフボードを持つこともできないという矛盾もある!
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