特攻作戦に想う

私が書かなければ忘れられてしまうような話だから書くわけでもありませんが、親父から聞いた少々面白い話です!

追記:2015/10/16

親父の話が本当だったことが分かりホッとしました。陰山君の伯父さんだけでなく、犬死はしたくないと考える兵士も多々いたということでしょう。

追記:2015/11/02

日本軍が如何に非論理的な戦法を取り、兵器開発なども実情を踏まえて無かったかを述べています。読めば読むほど悲しくなります。

追記:2016/12/28

真珠湾攻撃の記事を読む度に、なぜこのようなことをやってしまったのかと怒りを覚えるのはなぜでしょうか?そういえば会社勤めの頃、ある上司から雷撃機で真珠湾攻撃に参加したと酒席で聞きました。英語の達者な声の大きい元気な方でした。

特攻作戦に想う 2015/08/15

毎夏の歳時記とも言えるが、テレビで放映される我が国の第二次大戦の記録である。その記録全てが悲愴であり悲惨でもある。誰がどう言おうが狂気の記録であり、純粋に国を想い死んでいった人たちには酷かも知れないが犬死であった。二度とこのような愚かな行為に手を染めてはならず、誰がこの惨事を引き起こしたのかを全ての国民がよく考えなければならない。私の親父は腸結核の痕跡により徴兵を免れた。さりとて、それさえも白い眼で見られ居心地が悪かったそうだ。さて、ここで書き残しておきたかったことは、親父から聞いた話である。

我が高校の先輩で高知航空隊に所属していたパイロット陰山さんの敗戦の詔があった翌日のことだ。陰山さんは、終戦間際に特攻隊員として何度か出撃したがその度に死にたくなくエンジン不調として帰還したそうだ。そのこうするうち終戦となり、直ぐに帰郷したく戦闘機に乗って高知から故郷の香川県に帰ってきた。湊川の河原に着陸できるだろうと安易に考えていたが、どうにも着陸出来そうな場所がみつからずUターンして高知空港まで引き返したとのこと。親父がこの話を陰山さんの知り合いから聞いた際に「そういえば終戦直後なぜか村の上空を旋回する戦闘機があったな!」と思い出したそうだ。

数年前この陰山さんの話を、飛行機好きのある友人に話すと「それは嘘だ!そもそも戦闘機は一人では飛ばすことができないのだ!」といきり立っていた。親父がわざわざ作り話をする訳がないと思ったので調べたところ、ゼロ戦はパイロット一人で始動し飛行することができる。つい数年前に飛行可能なゼロ戦が米国から日本に持ち込まれ航空機マニアに公開された。その際のエンジン始動を見たら米国人パイロットがエンジンカウリングにL型クランクを差し込みエナーシャーという装置をグルグルと回転させ次にさっと操縦席に乗ってブルブルとエンジンを始動した。その後Webでゼロ戦の始動方法を調べていたところ、ゼロ戦が南洋のある島に不時着した際に仲間の飛行機が基地からL型クランクを運び上空から落とし、無事帰還できたとの記述もあった。戦争の記録をテレビで見ていて親父から聞いたゼロ戦で故郷に帰ってきた陰山さん(*)の話を思い出してしまった。
 *:この陰山さんは、私の小学校からの友人陰山君の叔父さんだった!

さて、特攻作戦だが成功率は1/10とも1/100とも言われている。そもそも250Kgの爆薬を積んだ戦闘機には飛行性能に大きい制約がでてこよう。勿論米軍は直ちに特攻機への対抗策をあみだし、圧倒的な弾幕で迎撃する戦法を取った。弾幕の中でバラバラになり枯れ葉のように墜落する映像には悲しくなる。現在では特攻作戦の裏話が多々出版暴露されており、実は志願して飛んでいった人は少数派で、志願せざるをえない状況に追い込まれた人が多数派だったようだ。そもそも特攻しなければならない状況になっても戦争を継続する意義はあるのかとは今だからこそ言えるが実に無駄な戦いをしたものだ。全ての大都市が焼け野が原となり、67万人ともされる無抵抗の市民がじゅうたん爆撃や原爆で殺戮されるまで、なぜ戦争を止めなかったのかを全国民が考えるべきである。遅すぎた詔と思うのは私だけだろうか?
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追記:特攻の実態 2015/10/16

「白川静読本:平凡社」に、立花隆氏が「海軍特別攻撃隊戦闘記録:アテネ書房」から面白いことを引用している。

…何度も出撃しては、その度に発動機不調、天候不良などさまざまの理由をつけて引返し、基地全体の士気を低下させてしまう者が出たりしたという。…

Uターンした特攻機は、親父から聞いた友人K君の伯父さんだけではなかったようだ。さらに、「レイテ沖海戦:学習研究社」から引用し、特攻の本当の成果について

帝国海軍発表は:

 ・撃沈36隻(空母17、戦艦19)
 ・撃破77隻(空母58隻、戦艦19)

戦後の調査によると:

 ・撃沈3(空母3、戦艦0)
 ・撃破(空母36、戦艦11)

うち、撃沈された正規空母は0で、撃破された正規空母16とのことである。散っていった兵士には酷だが実に無謀な戦いをしたものである。

追記:日本軍の小失敗の研究より 2015/11/02

日本は高々70年前に多くの国と戦争をし、大勢の兵士や市民が死んだ。絶対に勝てない米国や英国などを相手に戦争を始めたことは大失敗だが、その過程で数えきれない小失敗があった。この本(日本軍の小失敗の研究:三野正洋)はその小さい馬鹿さ加減を詳細に述べている。

さて、特攻作戦に関する記述だが、

…日本海軍が戦艦用の主砲用として射撃用レーダを実用化している頃、アメリカ軍は40ミリ機関砲(四連装タイプ)にまでレーダを取り付ける。
 …中略… 
昭和19年の秋以降に実施された日本陸海軍の体当たり攻撃機は、この優れた対空火器対のシステムによってその多くが突入直前で撃墜されてしまうのである。…

とある。つまり我が国が特攻作戦を開始した時に、米軍の対空砲火の技術水準は最高に達していたのだ。さらにレーダのみならず、

…マジック・ヒューズと呼ばれた近接信管(打ち出された砲弾が航空機に接近すると、内蔵のコイルに高圧電流が流れ、爆発する)など思いつきもしなかった。…

とある。我が国の軍事研究部門が思いつきもしなかった砲弾を米軍は発明していた。どうりで当時のフィルムには我が軍の戦闘機が米戦艦に近づくと対空砲火でその上空はまるで花火大会のようになっていたのだ。つまり、迎撃側ではあと何分何十秒経つと何度の方向から戦闘機が近づくということがレーダで分かっており、その方向に向けて弾を撃てば当たらなくとも近接すれば炸裂する。これだと私でも少々訓練すれば撃墜できるだろう!特攻機を操縦していたパイロットのことを思うと、この戦争を起こしたことに怒りがわいてくる。

追記:真珠湾攻撃への道のり 2016/12/28

今日の東京新聞には上記表題で真珠湾攻撃からミッドウェー海戦で大敗するまでの過程を記載している。その中で「…奇襲を成功させて米軍の戦意喪失を誘い、短期決戦に持ち込む狙いだった。…」とある。奇襲が成功すれば米国人が意気消沈するなど誰が思いついたのだろうか?それを去ることはるか前、貧しいアイルランドやウェールズから食うや食わずで新大陸に渡った移民の末裔が、太平洋の孤島に襲撃を受けたからと言って意気消沈しようはずがない。むしろアメリカ人の気質を考えれば火に油を注ぐようなものだ!さらに、奇襲に至るまでの国際関係悪化も事象からすれば我が軍の中国侵略や仏印進駐にも原因があることは明らかである。1941年9月の御前会議では戦争開始を決定していたとあるが、なぜ昭和天皇は戦争回避をしなかったのか理解できない。もっとも軍部の暴走と言ってしまえばそれまでだが。それが我が国の歴史なのか、国民性なのか?我々はしっかりと我が国の決断を我がことと考えなければならない。
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