海外旅行

別のエッセーで人生の棚卸をしている旨を書きましたが、多数の旅行ガイドが出てきたのでメモとして書きました。
●海外旅行 2017/6/18

本棚の整理をしているが、捨てられないでいた旅行ガイドである。最初の海外は1974年の夏米国メリーランドで一か月間だったが、勿論社命による出張である。当時海外旅行はまだまだ一般的でなく、やっと庶民に開放されたような状態だった。大学生の頃(1970年頃だった)、夏休みに持ち出し制限いっぱいの500ドルを持ってリュックを背負いシベリア鉄道で一週間かけてインスタントラーメンをすすりながらヨーロッパに行く、蟹族というのが流行った。私が知る範囲、私のクラスからも少なくとも5人は行った。卒業旅行などという言葉ができたのも当時ではないだろうか?



この本に並んだ国はフランスとモルディブを除いて全て行った。アメリカには20回以上行ったと思う。殆ど仕事である。勿論フランスやモルディブには遊びに行こうと考えていたから持っている。フランスはまだ行く可能性は大だが、モルディブには行かないだろう。従って、残しておく本はフランスとイギリスくらいだろうか。そもそもこの類の本は中身が古くなると使い物にならない。為替レートだって、ホテルだって変わっていくからだ。それに現在はインターネットという便利な情報源があるから海外に行ってからも困ることはない。ただ、パラパラとめくれる事と必要な情報が紙の上に整理されている事では、インターネットは本にかなわない。

ここに掲載した写真をよく見ると、本が切り離されていることに気付くだろう。旅行の際は、必要なページのみを切り取って持参していた。こんな小さな本でも持ち歩くと結構重いのだ。従って必要な情報のみを切り取っていた。ある政府系財団に勤めていたとき事務の女性が買ったばかりの本を裁断している私に驚いていた。このようなことをする人は初めて見たとのことだった。この財団に勤めている時は、年に数回海外出張があって結構多忙だった。日本代表として下手な英語を操り国際会議で演説したこともある。その頃は50歳前後だったろうか、歳とともに面の皮も相当厚くなっていた。演説の後でマレーシアの運輸大臣から声をかけられた。少々練習をしていたし、事前に内容は上司がチェック(*)していた。それ以外には、インドネシアの運輸大臣とODAについて話したこともある。勿論、会議に来れなかった担当官僚から依頼されていたことにすぎないが。単に他の人より少々喋れて聞き取れたというだけで様々な仕事が舞い込んできた。
 *:上司は東大修士とMIT修士を持つ官僚だった。私は彼に「30分程度の演説なので骨子のみ決めてアドリブでやりたい」と言うと、原稿を一字一句書け、でなければ許さないとの命令だった。今となって考えてみると日本国を代表して発言するのだから万一の時責任を問われる上司にとっては当然だろう。富士通の部長時代は自由に海外のクライアントと協議していたが。

今後も冬場には東南アジアに、春または秋はヨーロッパにそれぞれ二ヶ月程度行く予定だ。勿論資金力次第だが、ビジネスもからめて飯の種を探す日々が続く。投資は続くが、未だリターンは見えない。当たって砕けろか?特攻隊でもあるまいし。家族からは顰蹙を買っている。
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