BRUTUS1985年6月1日号より

古い雑誌を取っておくことは大変困難です。豪邸にでも住んでない限り、積極的に捨てないとどんどん溜まって、ゴミ屋敷になってしまいます。この雑誌には、いつか住みたいと思う不動産が載っていたので取ってあったものです。その気は失せてしまいましたが、30年前の気持ちがよみがえります。
●BRUTUS1985年6月1日号より 2015/07/08

BRUTUSの1985年6月1日号(370円)を捨てないで取っておいたのは"湘南不動産情報"が載っていたからだ。別のエッセー"日経夕刊:心の玉手箱(北原照久)より"に書いた、宮様の遺産8億円の不動産が出ている週刊誌である。私はもっぱら七里ガ浜の5180万円の物件や、秋谷の月6万円の借家に目が行ったが!勿論、5千万は高すぎるし、秋谷は会社勤めには少々遠すぎた。いずれ海のそばに住むぞと考えていたが、今は体の動くあいだはインドネシアで数年暮らしたいと思っている。すぐそばにいる人は絶対に嫌だとのたもうている。メイドさんを二人雇え、冬の寒さは無いぞとそそのかしているが、一向に興味が湧かないようだ。


さて、これは丁度30年前の週刊誌だが、今読んでも内容はちっとも古くない。つまり、編集者の能力が高いということだ。BRUTUSにしては妙に表紙が暗いと思ったが、この表紙の人物は、玄海男といいピストン堀口を倒し、ハリウッドで活躍したプロボクサーとのこと。当時68歳とのことだから、御存命ならば今は98歳である。この記事の詳細は誌に譲るとしても、今やこれを手にすることは普通には不可能だろう。いくらブックオフで探したって、置いてないからだ。頁を開くと、周辺が茶色くなっており、10年もすれば全体が真っ茶色になるだろう。そもそも週刊誌に高品質の紙を使うわけにいかないからだ。

この雑誌が出てきたのでじっくり読んでみた。すると、友人の横山さんの伯父さんの家が出ていたり、カッチャンこと川南活さん(*)の特集もあった。川南さんとの最初の出会いは1980年代初頭のカブネというサーフポイントだ。カブネは逗子マリナーの沖合にあり、ブレイクポイントまで400メートルのパドリングが求められる。従って、台風が近づきうねりとオフショアの強い日はエキスパートのみのポイントとなる。潮流とうねりで流れがきつく、常時自分のポジションをキープするためのパドリングが必要で、少々体力があっても持たないのだ。そういう時のこのポイントには腕利きの常連数十人が集まりその一人が川南さんだった。もっとも私は誰ともつるまないので、彼と親しく口をきくようになったのは40を過ぎていたと思う。いつだったか「カッチャンと呼んでね、シンチャンと呼ぶから」と言われたことがある。

この記事によると、川南活さんは20代のほとんどを世界各地の波に乗って過ごしたとある。私が彼と会うときは必ず海だったが、波間で漂っているときに世間話をすることはなく、駐車場でバッタリ会っても、「元気〜!またね〜!」で終わってしまう。今度会うことがあれば、じっくりと世界漫遊サーフィン歴を聞いてみたい。いつだったかサーフィン雑誌に、メキシコかどこかのポイントで「カツー!」と旧知のアメリカ人サーファーに呼びかけられたことがあると書いていた。私はハワイ、カリフォルニア、インドネシアでしかサーフィンしたことがないが、ある時バリ島で旧知の池袋のサーフボード屋のおやじさんとばったり会ったことがある。特集の最後で彼が言うには、「シェイパー(*)はわがままだから、商売にも結婚にも向いてない…男が勝手にサーフィンしているときに、女は砂浜で砂遊びをしていればよいが、現実は異なり…」とのこと。そしてこの記事のライターは「…このビッグウェーバーは人生のビッグウェーバーとして湘南も日本も越えてしまったかのようだ…」とある。私も死ぬまでわがままでいたいが!
 *:サーフボードを作る職人のことで、川南活氏はサーブボード製造販売(KATSUKAWAMINAMI SURFBOARDS)を生業としている。
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