米国Yahooの退場

一世を風靡した企業の退場です。現在ネットで高収益をあげる企業の明日を多くの人が懸念しているでしょう。ここで私が心配しても何の意味もなく、今後も情報通信の世界はより速く、より安く、より便利に進んでいくはずです。私もその一端にぶら下がることができれば幸せなんですが?
●米国Yahooの退場 2016/7/26

Yahooは私が富士通の部長だった頃に設立された。当時私の隣の席に座っていた高橋本部長代理が「ヤッホーでなくヤフーと発音するらしい」と誰かと話していたことでよく覚えている。この本部長代理と私とは少々腐れ縁があった。私が入社時数歳年長の高橋さんと私との会話はなかったが、彼が隣の研究部にいたことを覚えている。その後十数年経った頃、私は彼の部下の沖さんを私のプロジェクトに引き抜いた。その時彼から散々嫌味を言われたが、その後ほんの数年で私は高橋さんの部下になり沖君は勿論私のプロジェクトのリーダーだった。このエピソードは当時の富士通が実にダイナミックな組織編成を行っていたことを示す。なお富士通は当時の売り上げから全く伸びず現在に至っている。恐らく株主やOBは忸怩たる思いだろう。

さてYahooだが、今日の日経朝刊によると米国では実質的に名前が消えてしまうことになった。持株会社として残るが社名は無くなるようだ。ところでYahooが世の中に現れたころ、ポータルサイトという重要な言葉があった。つまりホームページだ。パソコンをスイッチオンしてブラウザを起動するとインターネットへの入り口としてホームページが表示される。これがYahooに優位性を与えており、現在の日本ではYahooをホームページにしている人が多いだろう。しかし、米国ではそうではない。我が国ではYahoo Japanが優位性を保っているが、それはソフトバンク社長の孫正義氏の力だろう。

今後のインターネットの世界を占うことは凡人には殆ど不可能だが、ただ言えることは日本の会社がインターネットのある特定のサービスを支配できることはないだろう。それができるのはなんと言っても米国である。米国のあらゆることへの自由度が我が国を超えていることに誰も異論がないはずだ。私の個人的な経験では、例えば特許だが、私はWindows Updateの特許を20年以上前に考案した。当時はインターネットも光もADSLも無くPC通信という世界だった。外付けアナログモデムを使った通信速度は最大でも1200BPSで現在の数百分の一だったが、考えられるすべての機能を特許申請した。すると米国では直ぐに特許が成立した。ところが我が国では、文言上の言いがかり(*)としかとれないような特許審査官からの反論があり、結局文言修正に数年かかり最終的に特許として成立した。
 *:日本の特許制度は米国と比較して成立が難しく、日本で特許を取ることはコストがかかり特許申請も米国に比べて少ない。結局はみずから我が国の国力を阻害しているとも思える。なお、文言など全て沖さんが考え対応した。彼の優秀性には今でも頭が下がる。

少々脈絡がずれたので米国Yahooの失敗と今後のインターネットについて述べる。Yahooの失敗は新機能開発を怠ったことに尽きよう。大昔はコンピュータネットワークにはUNIXの標準機能だったキャラクタベースのMailとBBSしか無かった。その後、コンピュータの性能向上がGUIの向上即ちキャラクタからイメージになり、さらに通信速度の向上がそれを後押しした。それに伴いメールやBBSを組み合わせたfacebookやTwitterが一世を風靡しているが、Yahooがこれに気づかなかったことが敗因である。さらに無料電話のSkypeやLine、検索機能のGoogleにも遅れをとった。しかし、今が終着点とは誰も思ってなく、さらに面白く有益な機能が出現するだろう。私もそれを考案したく日夜枯れかかった頭脳を駆使しているが?
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