「白い崖の国をたずねて」岩倉使節団の旅を読んで

中学生の頃に読んだサイドリーダがイギリスに思いをはせることになりました。特にスコットランドは最近とみにお世話になっているスコッチの故郷として有名ですが!

●「白い崖の国をたずねて」岩倉使節団の旅を読んで 2014/3/23

受験勉強で日本史をみっちりやった人は別として、普通は岩倉使節団と言われてもピンとこないだろう。最近「岩倉使節団の旅 白い崖の国をたずねて 木戸孝允のみたイギリス:宮永孝著」を読んだ。なぜこの本を手に取ったかというと、私のゼミの指導教官:木戸栄治博士は木戸孝允の直系だったからだ。これとは別に、趣味のサーフィンで親しくなった数人のイギリス人がおり、そのうち彼らを尋ねたいと思っていたことと、中学一年生の時のサイドリーダー"Kidnapped"でスコットランドを舞台とした物語を読んだこと(親父の無理強いだったが!)もある。私の個人的な事情はさておいて、岩倉使節団は明治5年(1872年)のことだから、我が国の男共がちょん髷を切ってほんの5年後のことだ。そのような時に西欧文化に直面した使節団の情熱やある部分"いい加減さ"もこの書に記述されている。ただ全体として日誌的で私にとっては面白みが少ない。

読み始めて直ぐに、"木戸が伊藤博文を叱る"との段落で、当時ロンドンに留学していた青木周蔵(*)などとのキリスト教についての議論の過程において、木戸が伊藤に「…いまだかつてアメリカにすら留学したことのない者が、みだりに同国の宣教師あるいは浮薄なる政治家の言を聞いて、にわかに一種の空想をえがき…」と伊藤や米国留学生の「キリスト教に帰依すべき」との意見を非難するくだりがある。ここを読んで、木戸栄治先生のことを思い出した。先生は、原理原則を逸脱することを嫌っていたが、たいていのこと特に学生のバカさ加減を受容されていた。しかし、ごくまれに怒りの言葉を発せられることもあった。私個人に対するそういうシーンもたった一度だがあった。私は"分かりました"と言い引き下がり、それで終わった!若い時分のことだが、原則を逸脱しないことがいかに肝要かということを教えてもらった。但し、歴史や法律を変える程の力がある方には無効だが!
 *:"青木周蔵自伝"平凡社

イギリスについて私が最も興味があるのは、中学の時読んだ"Kidnapped"の舞台スコットランドと友人達が住む コーンウォールだ。外国に行くことは宇宙旅行なみだった中学生の頃にスコットランドの風景や地形を英語(稚拙なレベルだが)で学んだことから未だになんとなく心に浮かぶことがある。その本の中の挿図が記憶の断片として残っているからだろう。実は昨年イギリスに行く予定で友人達にふれ回ったが、あることで延び延びになっている。今年こそ廻ってみたい。「白い崖の国をたずねて」のあとがきによると、岩波の廉価版で岩倉使節団実記が刊行され一時期一行の足跡を訪ねるツアーが流行ったという。私もスコットランドを訪ねる際には、本書と未だ大切にとってある"Kidnapped"を携えることとなろう。本書の中盤にイギリス留学中の夏目漱石の神経衰弱が一時癒えた頃にロンドンからスコットランドに旅行し、泊まったホテルの記述がある。岩倉使節団は、漱石が泊まる三十年前にそのホテルに泊まったそうだ。

漱石の憂鬱の原因は諸説あるが、英語が思うように通じなかったこととも書かれている。官費留学の一期生で超秀才だった漱石でも手に負えないことがあったようだ。当時日本に来ていた政府お抱え英語教師はまともな英語を話しただろう。しかし、例の訛りで有名なロンドンの市民が漱石に教師のような英語で喋ったとは思えない。神谷町の飲み屋で二人でよく飲んだある上司は、東大で航空工学学士と修士を取りさらにMITでも修士を取ったが、ボストンでバスに乗ろうとした時運転手の喋ることがどうにも理解できず乗せてもらえなかったとぼやいていた!彼は、何かの脈絡で、勿論自慢話でなく『これまで試験に落ちたことが無い』とのことだった。英検1級も持っていて、そのインタビュー試験の為に100個のタイトルを仮定し、スキットを作り記憶して臨んだとのこと。試験官がボストニアンでなくて良かった。あるとき、飲み屋で趣味の日曜大工の話になり、奥様から「やって欲しいことをやらずに、やらなくて良いことをやる!」と怒られるとのことだった!超秀才も漱石同様奥様には頭が上がらないようだ。

本書の最後に近くなると"恥ずかしがる"と"恥じる"の訳し間違いで座がしらける逸話がある。もっともこの間違いは文化や習慣の違いにも起因するもので、かなり英語が出来てもなかなか難しい。バイリンガルと言えども、あらゆる状況に咄嗟にきちんと対処できることは困難だからだ。市長令嬢が木戸の横に座ってホスト役をつとめる際の出来事だったが、英国人書記が日本人副使に「木戸さんは、若いきれいな人のそばにすわり、喜んでおられる」と言ったところ、副使(伊藤博文らしい)は「木戸は恥じている」と答えたそうだ。それで一気に座がしらけたとのこと。恥じる"be ashamed"と恥ずかしがる"be shy"の使い分けを間違えたのだろう。私も仕事では幾多のミスをしでかしたが、交渉の場では自分のつたない英語でしつこく相手の意図を確認することでどうにか乗り切れた。私の英語経験で最も危ないことは、分かってもないのに分かったふりをすることだ。究極のミスは、分かったと思ったことが完全に間違いだった時だ!思い返しても、会社生活では英語に関する決定的なミスが無かったことが私には幸運だった。
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