「別冊新評:安岡章太郎の世界」を読んで

この本では、戦時中の軍隊のおぞましさが伺われます。状況が悪くなるにつれて内部崩壊が進む、ある関係が何かの問題で崩れていく自然の掟のようなものでしょうか?
●「別冊新評:安岡章太郎の世界」を読んで 2014/05/07

昭和49年発行の雑誌で紙質が悪く古い新聞のように茶色く焼けている。もう少し焼けると、読む気になれなくなる状態だ。親父は殆どの雑誌を廃棄していたが、興味がある記事があれば保存していた。安岡章太郎は親父と同世代で、戦中派である。兵役を避けるには、死ぬか病気になるしかなかった世代だ。戦後は、戦争を生き延びた若い小説家として、第三の新人と称されたグループの一人であり、吉行淳之介や遠藤周作らと親交があった。もし親父に小説の才能があれば、彼らと交流があったことは間違いない。残念ながら親父はストーリーテラーで無かったようだ。ある時親父が、中学生の頃小説の種を探して亡くなった母親の親戚を訪ね歩きエピソードを集めたことがあると私に話した。しかし、親父が書いた小説はまだ見つからない!親父の皮肉は結構キツイものがあったが、それを展開して長い話にすることは出来なかったようだ!

さて、この本の骨子は芥川賞候補となった安岡の処女作「ガラスの靴」と、安岡の生い立ちや兵隊経験である。「ガラスの靴」は勿論全文掲載されているが私には分からない小説だ。元来私は唯物的でないことには触手が動かない性格なので、何がなんだか分からない内面的な解釈を求めるようなことは不得意だ。従ってこの類の小説には興味も湧かず共感も無い。ちょっと前の話だが、芥川賞を受賞した綿矢りさの「蹴りたい背中」を読んだが、というか途中まで読んだが「ガラスの靴」に少々似ていると思った。つまり私の小説に対する感性はこの程度であり、この類の小説は私には退屈なのだ。安岡氏にも綿矢氏にも申し訳ないが!

この雑誌の構成は、最初に安岡自身が写したアフリカのカラー写真が数点、次に幼児期や青年期の家族写真が数点、そして「ガラスの靴」が掲載され、その次に軍隊時代の集合写真がある。安岡はそのいい加減な性格から軍隊では大変苦労したそうだ。彼の軍隊経験を読んで、もし私であっても軍隊では絶対に受け入れられなかっただろうと思う。最初は服従しようと努力するが、結局耐え切れなく、脱走するか病気になっただろう。実際、そのような兵も少々(多数ではない)いたようだ。体は丈夫だけど、精神に異常をきたすこともあるからだ!会社生活でも何人かそのような人に接したことがある。軽快なフットワークで仕事をしていた人が、ある日突然何かがあったと思うが、まるで動けなくなるのだ。仕事中に突然笑い出し止まらなくなる人もいたが、後に精神病院に入ったとの噂を聞いた。この人通勤電車の中でもクスクスと一人笑いをしていたようで、同僚がそれを見かけたとのこと。

この本の後半、というか"起"が終わって"承転結"は軍隊の話になる。小野田少尉、軍隊生活・・・と戦中派の安岡とその関係者のぼやきが続く。その内容だが、文筆家が描くから具体的で細かい点にも漏れがなく、実に共感できる。これを読めば、軍隊が如何に理不尽か、末端に行けばいくほど馬鹿げたことをやっていたかが分かる。これでは米軍にやられてしまったことが当然だと思う。国民を守る自衛隊や警察で同様のことが起きてないことを望む。歴史は繰り返すというから少々心配だが!
元に戻る