安岡章太郎と小野田少尉

のろまな兵士だった安岡章太郎が軍隊の狂気を伝えます。

●安岡章太郎と小野田少尉 2014/06/21

安岡は大正9年(1920年)生まれで、典型的な戦中派だ。"別冊新評:安岡章太郎の世界"には処女作「ガラスの靴」の次に「ドン・キホーテと軍神」が掲載されている。編集者はこの本の構成を恐らく安岡に相談した結果だろうが、このエッセーが早々に出現することに安岡の心情が伺われる。この本の中ほどには「戦争の中の二人の証人」との標題で安岡と江崎誠致氏と記者の対談が掲載されており、これも戦争を知らない私には大変興味深いものがある。安岡と同年生まれの親父はこの本を大切に保存してあったが、心情的に安岡に通じるところがあったことは疑いない。

「ドン・キホーテと軍神」は、ルバング島から帰還した小野田少尉のことを述べたもので、安岡が軍隊の不条理について語るエッセーである。小野田氏をドン・キホーテに例えているが、勿論彼はドン・キホーテと異なり"狂人"ではなく、"残置諜者"という命令によって狂わされたと安岡は考えている。小野田氏はフィリピンから羽田に到着した際にインタービューを受けたが、その内容を安岡が評価すると「羽田での記者会見で、代表質問者と小野田少尉との一問一答は、それこそ《時代をとりちがえた突拍子もない狂想》であろうが、その狂想を滑稽と感じることが出来た人は、ほとんどいまい。」となる。亡くなった親父はどう考えたか今となっては聞いてみたかった。

「小野田さんたちが、ルバング島で30人もの人命を奪い、百人も負傷させ、千人もの田畑を焼き食料をかすめ取ったことは、見当違いの忠誠心によるものとはいえ、《滑稽》ではすまされない。(*)」との記述は、安岡が軍隊で受けた理不尽な扱いに対する思いだろう。このエッセーには、トーマス・マンの引用が頻出する。安岡は親父と全く同じ世代で、彼らの世代の読書好きはトーマス・マンを読んでいたようだ。私のドイツ語のサイドリーダーにもさりげなくトーマス・マンが出てきたが、編者は戦中派だったのだろう。
 *:小野田さんの2年前にグアム島から横井庄一氏が帰還した。しかし、それに関し何の記述も無い理由はここにあるのかもしれない。

このエッセーの最後の段落は、トーマス・マンがナチに祖国を追われてアメリカに渡る途中、大西洋航路の船上で記述したエッセーを引用し『しかし反理想主義的なドン・キホーテ、陰険で厭世的で暴力を信ずるドン・キホーテだといわれるような人間がいたとしたらどうだろうか。セルバンテスの諧謔と憂鬱とは、そこまで遠走りしないで終わったのである』と安岡は警鐘する。トーマスマンがここで言うドン・キホーテとは誰か、歴史を学んだ人に説明する必要はないだろう。
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