「人間臨終図鑑」を読んで

親父は自身の死に際を考えていたのだと思います。しかし、彼の最後は食道にパイプを刺し込まれ、酸素マスクを被り、二日おきに輸血をしていたのです。恐らく元気だったときは何かを考えていたが、思考力と体力が低下しこうなってしまったときにはもう手も足も出なかったのでしょう。

私自身は、親父のような事態が起きる前にあらゆる治療を絶つよう指示しています。但し、痛がっていたらモルヒネだけはたっぷりと注入してくれとは伝えてます。もう命が惜しい歳でもあるまいし。
●「人間臨終図鑑」を読んで 2014/08/25

親父の蔵書にこの本があった。これを誰が喜んで読むのか?と思って手に取ったが、だらだらと最後まで読んでしまった。親父がなぜこの本を買ったかは不明だが、恐らくどのように死ねばよいのかを考えるための情報だったのだろう。その証拠に、これは下巻であり、上巻(64歳以前に死んだ人)を買ってないからだ。著者の山田風太郎は私が高校生の頃「くノ一忍法」云々で、既に人気作家となっておりクラスの好き者が新本が出るたびに買い、皆でまわし読みした。歴史の時間に先生が「山田風太郎って知ってる?」と皆に聞き、仲間達が「ハイ」と答えたので、先生もニヤッとしてそれきりだった。あの真面目そうな先生も読んでいたのだ!伊藤整が有罪になり、山田風太郎は話題にもならなかったことは摩訶不思議だが、世の中の変遷はそれだけ激しいということだろう。

この本の最初の章は「65歳で死んだ人々」である。もし私が去年死んでいれば第一章の人たちに包含される。この章のイントロには「どんな臨終でも、生きながらそれは、多少ともすでに神曲地獄編の相を帯びている。」となぜかダンテを引用している。風太郎も親父と同世代。ダンテやリルケ、はたまたトーマスマンなどを読んでいたはずだ。この本の最初の登場人物はルイス・フロイスだが、もっぱら織田信長に関する記述で読者を誘い込もうとしている。恐らく出版社の編集員と共に検討した結果だろう。この記述を引用しておく。なお、これはフロイスが記述した「日本史」の一節である。

「この尾張の王は三十七歳、長身痩躯で髪は少ない。声はなはだしく高く、武芸を好み、粗野である。傲慢で名誉を重んじ、決断を秘し、戦術に巧みでほとんど規律に服しない。部下の進言に従うことは稀である。彼は諸人から異常な畏敬を受け、日本の王侯をことごとく軽蔑している。彼は理解力と明晰な判断力を持ち、神仏その他の偶像を軽視し、異教一切の占いを信じない。宇宙に造物主などなく、霊魂不滅などということもなく、死後は無であることを明らかに説いた。人との話はまわりくどいことを嫌った」とある。小説でも何でもその最初の文章や内容は、どの作者でも悩むところだろう。あの風太郎さえもフロイスの信長伝に頼ったのだ。なお、この叙述には現在我が国で最も伸び率の高いいくつかの大企業のトップに当てはまる項目が幾つもあることに驚く。

さて、正直に申せばこの本はそれほど面白いものでは無かった。多くの著名人の死に際の話を読んで、私の周りも似たようなものだと思った。人はいずれ死ぬ、その時のことを考え準備しておくことは必要だろう。残読感としての情報として、不敬事件や日露非戦論の内村鑑三は昭和四年に亡くなっておりもう少し長生きしていたら牢獄行きともなりかねなかった。米太平洋艦隊司令長官だったニミッツは、戦後軍艦三笠の修復や東郷神社の復旧に援助したという。「降る雪や明治は遠くなりにけり」の名句は、中村草田男作とのこと。私の常識が希薄だっただけかも知れないが!
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