ジャック・ウェルチわが経営より"タイピング"について

ジャック・ウェルチ氏の伝記を読んで、どんなに大きい会社でも結局は人間関係にそのよりどころがあるということを感じました。単に私の見解ですが!

追記:2015/06/06

タイプライタの歴史は長く、誰がqwerty配列を発明したのか分からないところが面白いと思います。

追記:2017/6/14

社長交代の困難さは皆さんがご存じですが、ビジネスの教科書に出てくるGEでさえもそうだということに驚きました。当社の場合は社長交代はありませんが、いつ会社が潰れるかが課題ですね!上場できるような会社にしたいと努力していますが。
ジャック・ウェルチわが経営より"タイピング"について 2015/04/26

米国のゼネラル・エレクトリック社の社長の伝記だ。ジャックウェルチ氏のことを私はシックスシグマの信奉者として覚えていた。長く務めた富士通での何かの教育の際にGEとともに認識したキーワードレベルだが!世界最大規模の会社の社長だから、もちろん私と比較できるようなことは全く無く、氏の経験に学べとは言えども格差が大きすぎるのだ。しかし、この伝記の中でたったひとつ私に優位性があることは、彼はタッチタイピングが出来なかったそうだ。米国では60年代くらいからインテリの家庭にはタイプライターが一家に一台だったようだ。日本でもブラザーがタイプライターの製造を始め、英文科の学生には憧れの道具となりつつあった。親父は戦前に商社に勤めていたことから、上手にタイプライタを操れた。私も親父に勧められ大学生の時にアルバイトをしてタイプライタ(*)を買った。
 *:現在は古道具屋で1000円〜3000円程度だが、当時は3万円くらいで、大卒初任給よりもはるかに高かった。

さて、私は学生の頃アマチュア無線を趣味としていた。もっぱら海外のアマチュアと交信することを楽しみとしており、音声や電信で交信し、その証明のためのカードを交換していた。米国からの多くのカードはタイプライターで記入されていた。わざわざタイプライターで書くのは面倒だろうと思う人がいるかも知れないが、実はその方が速いのだ。少々話題が逸脱するが、富士通でワープロが普及し始めた頃私は電子交換機のソフト開発部門にいた。当時私がレポートをワープロで書いていたら「そんな時間があるのだったら手で書いて来い」とある上司から叱られたことがある!このような上司にワープロの便利さを教えるのはほぼ無理だった。恐らく彼はいまだにタッチタイピングができないだろう。

あるとき仕事で富士通のワープロの父である神田泰典氏と係わることがあったが、神田氏は「ワープロの便利さが全く分かってない奴がおり、そういう奴には"車がいやなら駕籠で行け"と言うのだ」と仰っていた。現在、ワープロはPCに包含されて情報伝達の主要機能の一つとなっている。現役のビジネスマンや技術者でPCを使いこなせない人はないと思うが、私の富士通における最盛期40代の頃でも、既に全ての情報がPCとネットワークに移行し、紙での伝達は完全に無くなっていた。つまり自動車が普及すれば運転技術、PCが普及すればタッチタイピング、スマホが云々…と、その時々のデバイスを使いこなせない人は静かに見守るしかないのだ。マッカーサーのあのフレーズを思い出す。

タッチタイピングの話に戻るが、機械翻訳システムを使って海外向け技術文書を素早く作ることに燃えていた時期がある。機械翻訳の品質は、結局元の文章に依存する。もし日本語で英語を書くように書けば実にうまく機械が翻訳するのだ。当時私は富士通ドキュメントサービスという子会社に出向中の単なる平社員だったが、古巣の電子交換機事業部に働きかけ海外向け交換機の技術者全員(*)に技術文書の機械翻訳向け作文技術を教えたことがある。日本語では主語や目的語を少々略しても前後の関係から判定できるが、機械翻訳システムは一文内で判断しようとするから無理なのだ。そういう教育をした結果、受講者の中には自身の日本語力までも向上したと喜ぶ人もいた。この時に、受講者全員に厳しく伝えたことは富士通で生き残るならば、たとえ転職したとしてもプログラムで食っていくならば、タッチタイピングは必須だということである。なにしろ、タッチタイピングができないと引退するまで毎日PCに何千回もお辞儀することになり、仕事の効率が極端に落ちるからだ!タッチタイピングができずに、プログラムやマスコミなどの仕事についている人には耳の痛い話ではあるが。
 *:数百人だったと思う。もし当時この講義を受けたことを覚えている人がいれば連絡ください。
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追記:戦前のタイプライタ 2015/06/06

陳舜臣の伝記「道半ば」に、上本町にあった大阪外語学校の校舎は米軍の大空襲でほとんど焼け落ちたが、たった二教室が離れのように建っており焼け残ったそうだ。そのひとつの教室にタイプライターが50台ほどあったとある。これから想像すると、当時の外語学校や高等商業学校ではタイプライターの操作を教えていたようだ。親父は商業科だったから学校で操作を教わったのだろう。これを読んで、ふとWebで調べたのだが、マーク・トウェインは『トム・ソーヤーの冒険』(1876年)を、ウィリアム・フォークナーもタイプライターを使って書いたとある。そういえば、ヘミングウェーがタイプライターを使っている写真をどこかで見たような気がする。タイプライターとは何の相関もないが、私は小学校でソロバンを教わった。私の会社の経理事務では、ソロバンに使い道は無いが、Excelは欠かせない。いつの時代も有効な道具は変わっていくが、まだタッチタイピングを上回る文字入力方式は発明されてない。これを思いつけば我社は累損一掃し、ハワイの別荘で左うちわなのだが!:

追記:米GE、もはや「非主流」より 2017/6/14

今日の日経産業欄には上記標題でイメルトCEOの交代を述べている。イメルト氏は私が現役の頃社内教育で習った"選択と集中"という標語に基づき16年間もGEをドライブしてきたが、ここに至って退任とのこと。論調は解任に近く、これを受けて株価も上昇したそうだ。多くの会社におけるトップ交代は困難を伴う。多数決で生徒会長を選ぶような訳にいかないからだ。記事ではグーグルやアマゾンとGEの時価総額の違いを例にGEの体たらくを述べている。一方、競合するシーメンスや日立との対抗戦略が明になってないとの記述もある。但し、GEとグーグルを比較することは少々酷だ。なぜなら全く業種が違うからである。巨大な構造物(発電機のロータカバー?)を背にしたイメルト氏の写真は今後のGEの発展を支える基礎となる事業を示唆している。どんなに時代が進もうが具体的な"モノづくり"が消えることは無く、ネットを行き来する情報のみで全ての産業を維持することはできず、ビジネスの教科書にあるように情報は必要な要素の一つにすぎない。
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