村田製作所の躍進に思う

企業は、その商品が企業の顔となります。電子部品は庶民には見えないところにあるので、宣伝部は苦労しているでしょう。村田製作所の躍進には、他人事ながら胸がすく思いがします。

●村田製作所の躍進に思う 2014/2/25

今日の日経朝刊"日本の製造業、新たな挑戦"に村田製作所の躍進が伝えられている。村田製作所を知らない人も多いと思うが、作っている商品が電子部品で一般の人には見えないからだ。私が社会に出た50年近く前から電気を学ぶ人にはよく知られた、京都に本社がある会社だ。ノーベル賞を取った田中さんが勤める島津製作所も京都の会社だが、田中さんがノーベル賞を取る前は一般の人は聞いたことも無かっただろう。これ以外に、京セラも本社が京都で、それぞれが特異なジャンルで頑張っている。

さて、村田製作所が造るコンデンサー(*)だが、世界シェアが35%である。このコンデンサーは一個30銭だが、年に1兆個作り営業利益率は25%とのこと。つまり3000億円/年の売上げで粗利750億円だ。実に素晴らしい商品である。勿論この数値は、商品が技術力と製造力の結晶であり、価格と品質において他社を凌駕しているということだ。
 *:電極を形成するセラミックシートを何枚も積み重ねた「積層セラミックコンデンサ」というもので、スマホや携帯のプリント板にくっついた米粒のようなもの。

私が数十年前富士通に入社した頃、電子部品も作っていて"部品事業部"や研究所には"部品研究部"もあった。しかし、ある時期からどんどん縮小され大型コンピュータとそれに関連する事業に収斂されていった。その頃は、大型コンピュータの原価率が10%だとか30%などと言われ作れば儲かるボロ儲け商品となっていた。海軍兵学校出身(終戦後東大卒)の当時の山本卓磨社長は、大鑑巨砲主義を改めよと啓蒙されていたが、小回りできない巨艦の操縦に苦労されていた。その頃だったが、ある人から聞いたことは「富士通は1個10円や20円の物は作らない」ということだ。一個数十億円の商品があり、それに付帯するメンテンナンスビジネスなどで引き続き莫大な利益が得られれば、部品ビジネスの衰退は誰にも止められない自然災害のようなものだった。その後の富士通の商品展開を見るに"儲かるものに特化する"という当時のビジネススクールの教科書(*)に書かれていたとおりの道筋を進み、現在に至っている。これを良しとするかどうかは言わないが、いずれ結果が出るだろう。
 *:当時の管理職研修では、"健全な不採算部門"というパラメタもあり、これが将来に繋がる商品だったり、"不健全部門を支える本業"などという隆盛企業を戒めるパラメタとしても教えられていた。

企業は、結局その商品にある。何をどう作ってどう売るかなど複雑なプロセスも絡むが、何を作るかが原点だろう。その昔、富士通がコンピュータに企業生命を賭したことは大正解だったが、その次の展開までをもIBMの後追いしたことが今日に至っている。歴史にIFは無いが、部品事業部やその中核だった半導体事業などを健全に育てていれば、IBMと異なり富士通独自の特異な商品展開ができそのサービス商品もできただろう。私が入社時の三本の柱、コンピュータ、通信、半導体の三つのパラメタが今も健全に育っていれば、GEに並び称される世界的な会社になれたに違いない。村田製作所の商品に例えるのは失礼かも知れないが、原価が1円を大幅に切る商品でも、世界中でスマホが売れればその部品を供給する村田製作所が儲かり数千人の雇用を確保しているのだ。この教訓は、ビジネススクールの格好の題材だろう。それはさておき「お前さんはどうなんだい?」と言われそうだが、まずは2人のアルバイトを雇用していることで御勘弁ねがいたい!規模が違いすぎて冗談にも聞こえない?
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