残業減でどう成長

私が富士通に入社した1973年頃、皆さん残業していました。但し、全力投球で残業していたかどうかは分かりませんが?

追記:2017/9/12

"次の成長、頭脳戦にあり"とのサブタイトルですが、今のやり方だと頭脳流出でなく頭脳崩壊をまねいていると思います。それにしてもトヨタは素晴らしい評価システムを持っているとしか言いようがありません。なぜならこのような劣悪な環境で世界一のポジションをキープしているのですから。

●残業減でどう成長 2017/2/2

今日の日経の"ニュース複眼"は上記表題である。私が会社勤めの頃はあらゆる部門で残業が日常だった。もし毎日定時に帰宅していると上司や周囲から白い目で見られ大変気まずいことになる。結局つきあい残業だの、生活残業だのと揶揄される状態になってしまい、長時間の拘束が効率低下をきたしていた。但し、製造部門は異なる、時間当たりの生産量が決まっており、納期に間に合わなければ工員に残業をお願いするのが課長や係長の仕事だった。勿論、工員側もある程度の残業手当を生活費に組み入れており、製造現場は労使なれあいの給与体系システムだったと思う。

さて上記記事に日本電産社長永守重信氏の意見が掲載されている。氏の言によると、米独の企業を買収したが、残業ゼロでも業績が良いとのこと。海外上位五カ国の生産性は日本の倍とのこと。つまり、日本の企業の生産性は低いのだ。ヨーロッパの先進国や米国は、通常残業をしないようだ。また残業手当はお高く、企業側も払いたくないとのこと。しかるに生産性に着目し、個人の生産性の高さに応じた時間単価が決められているのだろう。もっともその査定は有能な上司にのみ可能で、我が国の多くの会社で見られる仕事の価値を査定できない管理職はいないはずだ。

私が入社した年、ニクソンショックで日本全体が大揺れ、勿論富士通も例外では無かった。当時、毎年給与が25パーセント以上増加していた。勿論物価はそれを上まわる上昇だった。私は会社の独身寮に入っており、大変安価な夕食を供給されていたので食うには困らなかったが、思い出すに不味いものだった。そのうち、近くの中華そば屋の定食を食って帰ってくるようになった。大変貧しく育った私でも、味の良し悪しは分かっていた。給食のオバチャンには申し訳なかったが!

さて、本題の残業と生産性向上だが、つきあい残業や生活残業が一掃され先進諸国と同様のシステムが機能することで、最終的に我が国が先進諸国と同様の効率の良い社会となるしかない。我が国のスタンダードである似非平等主義はしばしば有能な人材を殺すこととなる。そろそろ先進西欧諸国並みの評価システムを導入する時期が来ているのではと思うこともある。ただ、それを導入する権限を持つのは従来の価値観の年寄りである。それでも幾つかの我が国の先進企業は西欧に伍して成長しているが、結局は経営者の実力であろう。私もそのような能力を持ちたいが、嗚呼時すでに遅し!
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追記:働き方改革、さびつくルール 2017/9/12

今日の日経朝刊一面のサブタイトルである。ここには我が国の企業が仕事の成果を時間で計っていることを非難している。これを読み、私が富士通に勤めていた頃に評価システムの是正が行われたことを思い出し、あれから何十年も経っているのにいまだ日経一面の記事になっていることに驚いた。富士通はどうなのだろうか?当時と比べても売り上げ規模は停滞し主力商品はシステム構築に収斂しつつあることから未だ致命的課題(*)を抱えているのだろう。
 *:全ての企業の課題とも言えようが、中には売り上げ規模を拡大する大企業もあり、結局は従業員でなく経営者の問題か?

記事をよく読むと問題の本質は法律にもあるようで「…現行法で管理するうえ労働組合の懸念もありホワイトカラーエグゼプションの表現は見送ったものの…」とあり、世界トップに立つトヨタでさえもこうである。これでは時間で評価できる製造部門以外は海外に持っていかざるを得ないだろう。実力と一癖を持った人材は外資に流れよう。自動車の電子化は止まらず、20年後にガソリンエンジンは博物館入りとなり、メカニカル系の特許は全て失効し、業界再編もおかしくない。電池とモーターと機構部品を買ってきて組み立てれば誰にでも車が作れる(*)ようになるからだ。素人がキットを買ってガレージで組み立てることもあながち夢ではないかも知れない。その時、もし私が生きていればキットを買ってガレージにこもっているだろう?想像するだけでワクワクする。
 *:ゴルフカートレベルだと今日にでも作ることができる。

さて本題に戻るが、時間で手当が増えるのだから、1時間で出来る仕事を2時間かかってやるのは労働者として当然である。セールスマンがパチンコ屋や喫茶店などで時間をつぶすのと同様だろう。早く仕事をやる人が損をするシステムは結局全体を疲弊させ、それが数年続けば、その会社の文化となる。そうなった会社(つまり社会でもあるが)を立て直すことは容易なことでない。法律にも規定された日本社会の文化だから私がぼやいてもなんの効果もないが!社会変革を求める有能な政治家と法律学者が出現することを切に望む。我が国民の特質ともいえるかも知れないが根底をくつがえす変革は戦争でも起きないと無理か?
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