執筆者とは何だ?

長い会社生活、エーという方の御指導も受けましたが、反面教師でした。やはり長い人生後ろ指をさされるようなことはしないことが第一でしょう。ただそれをもなんとも思ってない方がいることが悩みですね!
●執筆者とは何だ? 2017/8/26

入社来多くの上司に仕えてきたが、中にはエーというような方もいた。私にとっては二人の忘れがたいおかしな上司がいて、そのうちの一人は私が子会社にいた時の事である。当時私は富士通ドキュメントサービスという富士通の子会社で富士通のマニュアルや文書一般の翻訳業務に関わっていた。私のタイトルは機械翻訳課長だが、名ばかりで実質的に部下と言える人もなく淡々と実務に携わっていた。本社の営業部門の指示により、富士通の機械翻訳システムのセールスマンのようなこともやっていた。ちょうどその頃、富士通研究所の言語研究部がワークステーションベースの機械翻訳システムをパソコン通信のメールアドレスと連携させ、あるメールアドレスに送付された文書を翻訳し、その結果を依頼者のメールアドレスに送り返すというシステムを試作した。社内に試験公開され社員は誰でも使えた。なにしろ大昔のことで詳細は忘却!いずれ当時の資料や私の日記を基にまとめて記載する予定だが。

当時私は上記のテストシステムに着目した。つまり素人をターゲットに少々使い勝手を工夫し、機械翻訳向けの文章執筆技術を教えれば一般顧客に受け入れられると思った。私は子会社に出向する前は研究所や事業部にいたが、たまたま海外向けのシステム開発に5年間携わった経験から、一般のエンジニアにもちょっとした翻訳の需要があることが分かっていた。一方、多くのエンジニアは英語に関し学校を出てから使ったことが無い人が殆どだった。それでも自分達が作ったプログラムの説明を英語で書かざるを得ないこともしばしばあった。海外向け電話交換機のソフト開発部門にいたときは、留学経験者が二人いて、私のデタラメ英語を笑っていた!その内の一人は英語のみならずスペイン語とフランス語もパーフェクトで、後年家族共々米国に赴任していった。

さて、私が着目し一般公開したパソコン通信機械翻訳サービスだが、使い勝手を考えてUNIX風の簡単なスクリプトを文書の先頭に付けることで柔軟な翻訳結果が出るようにした。さらに主語や目的語には英字で直接書き込めるようにもした。当時富士通の子会社だったパソコン通信サービス会社のNiftyに導入を依頼したが、引き続きASCIIネットにも提供した。それもあって大方の予想を裏切りあっさり初年度黒字(*)となり、新聞や週刊誌やテレビなどの取材も受け、一般の人にも機械翻訳とはどのようなものかを披露できた。その後、あっという間に機械翻訳システムはPCに実装できるようになり、現在ではWebの無料機械翻訳サービスが主流となったが、当時と比較して翻訳結果に大差はない。AI翻訳などとの言葉もあるが、人口知能というには少々はばかられる結果が多い。まだまだ研究の余地があり、研究者にはやりがいのある仕事である。
 *:富士通の創立記念日に社長賞(安福副社長から賞状と金一封が手渡された)をもらったが、私が所属する子会社の社長は富士通の鳴戸専務で「いろいろと部下が起案してくるが、利益を出したのは初めてだ」と仰ったと我社の高田専務が喜んでいた。高田専務の言だが、この投資(最初の稟議はたったの500万円だが)は取締役会でおおもめだったが「鎌田の道楽だ」と専務が押し切ったと言っていた!なにしろその後の投資(SUNワークステーション4台や人件費など数千万円)も初年度売上で全て回収したのだから、皆さん驚いたようだ。

さて、このサービスを起案し導入した時の部長は鈴野さんで、私に「鎌田君にはシャッポ脱いだよ!」と仰った。鈴野さんは、研究所が何の実績もない我が社に任せるはずがなく、たとえ持ってこれたところで私には技術的に無理と思われていたようだ。ところが私と部下だった二人の年長者(石橋さんと花原さん)は、SUNワークステーションを使いこなした。一方、独自に新たな機能開発(*)をするなどし誰もが夢想だにしなかったが初年度黒字に持ち込んだ。そうこうするうちに、部長はMさんに代わった。このMさんは、私がFujitsuジャーナルに書いた論文(単なるシステムの概要とビジネスの状況だが!)をある雑誌に掲載したくその執筆者を御自身にすると言い出した。エーと思ったが、中身の薄い論文だしどうぞご自由にと返事した(勿論「ダメだよ、恥ずかしくないのか」とは言えまいが)。ちょうどその頃、私の本社転勤が決まった。するとM部長は、私に「この子会社在任中に知り得たことは一切口外しない」という誓約書を作り、署名捺印を迫った。日本で最も立派な大学を出ているのだが全くケツの穴の小さいひとで、口外されたくないようなことをするなと言いたかったが、ハイハイと署名捺印した。あまりに面白い出来事だったので家族や友人に笑い話として話した。いまだにWebには彼の名が筆頭の私の論文がある。なお、この部長からは論文執筆時に指導も一字たりとも修正変更指示もなく、アイディアや実行力が無く、おまけに権利とは何かも知らない人だった。私の遺産の金の生る木は、その後彼のひざ元で何の手立てもなく、アッという間に枯れはてた!まるで絵に描いたようなニュービジネスの勃興と衰退で、原因はハードウェアの性能向上と価格低下である。
 *:私が機能を考え仕様書を起こし、ヒューマンインターフェース株式会社 http://www.mambo.co.jp/ の池上さんにコーディングを依頼した。
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