T.S.Eliotと鮎川信夫

ふと本棚を見るとこの本がありました。Eliotが私に分かるわけもありませんが、読み進んでしまいました。鮎川と親父のことが目に浮かんだからだと思います。

追記:2016/5/2

長すぎる引用ですが、著作権の問題はないかと少々心配します。無いでしょうが。

追記:2016/5/19

Eliotの最も有名な詩の"The Waste Land"について田村が書評していたので、ここに記載しました。

追記:2016/6/1

"英語教育"という雑誌は中高の英語の先生が読む月刊誌のようで幅広く英語に関する情報が記載されています。親父もこの本を購読していたはずですが、この類の月刊誌は場所を取るので、全て処分したようで本棚には一冊もありません。勿論現在も発刊されています。

T.S.Eliotと鮎川信夫 2012/08/12

T.S.Eliotの"The Use of Poetry and the Use of Criticism"を読んだ。勿論私に原文が読めるはずもなく、鮎川信夫訳で表題は「詩と批評」である。鮎川信夫は早稲田の卒論がエリオットで、指導教授も驚く素晴しい出来だったそうだ。但し、軍事教練を拒否し卒業証書を手にしなかった。この本はエリオットが1932年から1933年にかけての冬場にハーバードで行った講演録とのこと。20世紀は戦争の世紀とも呼ばれ、大量殺戮兵器が出現し、その究極として2発の原子爆弾がわが国の息の根を止めた。終局した第一次大戦の余韻とくすぶりつつある第二次大戦の狭間でエリオットが詩を題材に文明論を語る講演録である。ところどころに親父が鉛筆で書き込んだ引用線などがあり、当時親父が何に興味を持ったのかが分かる。

エリオットは講演の初日に、1868年にノートンが書いた手紙を引用し次のように語っている。「ヨーロッパにおける未来は、実に暗く、歴史における全く新しい世紀に入りつつ・・・いずれにせよ経済至上主義企業による無制限競争と無秩序な個人主義の現世紀が人間の進歩の最高段階にあるかどうか疑わしいと・・・」まさにこの講演の約半世紀前のノートンの感慨をエリオットも同様に感じ、悲惨な殺戮の世紀の頂点に向かおうとする時に詩の行く末と価値を論じていることから特別内容が濃いものになっている。

さてこの講演の主旨、20世紀最高の詩人とも称されるエリオットが言及する良い詩とはということだが、「批評とは、よい詩を選び、わるい詩を斥ける能力です。その最も単純なテスト手法は、初見でのよい詩を選ぶ能力を試し、新しい状況に正しく応ずる能力を試すことです。・・・私達は、それぞれの時代の偽物や粗悪品にひっかかる未熟な読者が、どの時代にも後を絶たないことを知っております。・・・「詩とは何であるか?」を質ねることは、すでに批評的機能を仮定していることであります。」とのこと。つまり、私自身には詩を選別する能力が全く無いということが分かった。良い詩を見分けるには、膨大な読書量と執筆量が必須であり、今の私にはもうその時間も残されてなく、感性も気力も衰弱しきっているからだ。

最後に私なりに良い詩とは何かと考えてみたが、たった一つその出だしを覚えている詩が「雨にも負けず・・・」だ。親父も宮沢賢治を敬愛していたようだが、やはり変節の無い人が本当の詩人だろう。戦争中は兵を鼓舞し、負けたとたんに平和主義者になる人は詩人でない。その点、本書の訳者鮎川信夫は実に立派な詩人だった。親父はと言えば、結核に助けられた徴兵拒否詩人である。後年判明したメニエール氏病による頭痛とめまいが原因で、私が物心ついた頃から明日死ぬかもと嘆いていた親父は、元気だった同級生達をはるかに超え84の長寿を全うした。病理学的にはメニエール氏病は死に至る病でないとのこと!
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追記:"詩人への報告"より 2016/5/2

鮎川信夫が"荒地詩集1954"に"詩人への報告"との表題で彼ら荒地の詩人達がどういうスタンスで詩を書いているかを明に記載していたので引用した。引用とは言えども少々長いことはご勘弁。エッセンスのみにすると鮎川の想いが伝わらないからだ。これを読んでいるうちに、T.S.Eliotの"The Use of Poetry and the Use of Criticism"に通じるものがあると思ったのでここに添付する。鮎川が早稲田で卒論に書くほど読み込んだEliotだから、恐らく強い影響を受けたと思える。もちろん小説家のトーマスマンや、アンソロジー荒地に索引される一連の西欧の詩人の影響もあろうが。そして彼が後に一匹狼的にエッセーイストとして活躍したことが以下の文から理解できる。以下"荒地詩集1954"より。

 …個人の道徳的判断は、それらの権威に従属することを要求される。自由な街頭でさえも、われわれは数の単位として署名を求められる。そこでは署名狂になるか、署名拒否者になるか、どちらかしかない。そして、どちらになっても、自分自身を失うことに変りはないであろう。どちらになろうと、われわれは国家とか階級というような概念で割切られてしまうだけなのだ。

 こうした情勢にあっては、文学的スローガンや宣言が果たす役割だって、大差のないものだろう。

 今日、僕たちがマス・コミニュケーションの世界と呼ぶ特殊な社会環境では、道徳も芸術も社会的な要請に応えるかぎりにおいてのみ正当化され、もはや個々の人間を省みるものではなくなっている。人問の内的生命は集団的主張とか集団的支配に緊めつけられ、たえず外部の世界に圧迫されるか、吸収されてしまっている。個々の人間の観念もみんな紐つきになっていて、無意識のうちに外から操られるような仕組みになっている。

 これでは、われわれはもう一人一人の人間であることはできない。そして、孤独を閉め出した現代の集団的人間は、単なる政治や権力の餌食となってしまうだけである。

 こうした時代に、民衆指導者やさまざまな煽動家たちに向って、その善意や悪意を問うのは愚かなことだろう。善意によろうと、悪意によろうと、絶え間のない自己喪失の果にあるものは、集団的死に他ならない。そして、集団の死は、個人の死よりも加速度的であり、現代的な組織と能率を誇るこの大きな機械は、事態の変化や趨勢によってすぐに故障し、すぐに動かなくなる。

 ファシズム国家における文化体制は、そうした集団的死の生きた実例の一つである。僕らは麗々しいスローガンや社会計画や綱領によって、戦争、不寛容、迫害の残忍性を覆いかくす、そうした遣り方に欺かれてはならない。いかにそれが、一つの共通の理想と、前進的な熱情と、至上のものへの献身を含んでいるように見えようとも、僕らは個人の良心の権利を不当に抑圧することによって、その支配力を強めてゆくような機構に賛意を表してはならないのである。

 僕らが怖れているのは、こうした政治的悪気流が渦巻いている時代にあっては、いかなる言語的表現も、無意識のうちに、政治の影響を受け、また集団的利害によって制約されてしまうのではないかということである。

 もし、こうした事態が徹底化すれば、詩人は言葉を捨てる以外に道がなくなるだろう。

 今日、僕は抵抗詩と呼ばれるものの背景を考える時、戦争中の愛国詩を考えざるを得ないのは、それらの本体が、いずれ個人々々を超えた<集団的権威>への奉仕を意味している点である。それが、国家のためであろうが、人民のためであろうが、僕にとっては彼等の観念が紐つきのものであるという点では同じことなのである。

 こう言うと、人民は決して権威ではない、と抗議する者もあろう。一つの文明の中におけるプロレタリアートとは、同時代の文化から隔絶せられた者として考えられむしろ権威から遠いものと判断されるかも知れない。しかし、今日のプロレタリアートを、そのようなものとして考えたとしたら、それはよほど時代遅れの者だろう。少くとも十年、あるいは二十年前と今日とを比較すれば今日のプロレタリアートの組識は、過去の劣弱なそれに比べて飛躍的に大きくなり、はっきりした権威と力のしるしを持つに至っている。

 いずれにせよ、僕らの詩は、そうした集団的権威に従属したものではない。超階級的、超党派的と言ったら、笑う者もあるだろうが、僕らは自己の内的生命の欲求から詩を書くのであり、共通の約束に従って詩を書いているわけではないのである。それゆえ僕らになしうる仕事のすべては、僕たちが属している想像力の世界において何処へ持っていっても変色しない美と真実を示すことによって、全く新しい共感の社会を創り出すことにある。むろん、こうした考え方が、ある人々の眼から見れば、一つの変色にすぎないものとして映ることを、僕は充分承知している。しかし僕は、すくなくとも平和な社会にあっては、過去何世紀かの歴史に照して充分承認し得る芸街上の考え方を示しているにすぎないのである。
 *:これが荒地の詩人のエッセンスだろう。グループとして何かを主張したり、政治的活動をしたりせず、ひたすら彼らが個人的に持つ感性を言葉で表現していたと私は思う!(ボールド部分筆者注)

 真の平和が確立されるのは、こうした共感の吐会を措いて他にはない。僕はかかる見地からのみ、詩の革命的意義を考えたいと思う。僕たちにとって、平和の実現は政治的実践などというものを通じてなされるのでもなければ、未来の理想国を幻覚することによってなされるのでもないのである。われわれがもし、詩人だったら、想像力の産物である詩を互に享受し、精神的な豊かさを分け合うことによって、真の平和を実現しようとするだろう。それは与えることはあっても奪うことのない世界である。
 *:この理屈から言うと、全ての人々が詩人になれば世界は平和だ。しかし、生れながらに邪悪としか言いようのない人が存在することが警察や軍隊の存在を求めている。(ボールド部分筆者注)

 詩人にとって、本来の言語である想像力の世界に帰ること以外に、彼に残された道があるだろうか。

 僕はこの道も今日では他の道と同様荒れ果ててしまっていることを知っている。それに、こういう考え方に心から賛成してくれるのは、詩人以外にはきわめて少数の人々しか存在しないということも……。
 *:"荒地"がEliotからの剽窃とも思われかねない表現であるが、鮎川の不安は未だ払拭されなく社会生活も国際関係も我々は依然荒地を進んでいる。(ボールド部分筆者注)

 僕たちは、一体不幸な時代の始めにいるのか、終りにいるのか、それとも中程のところにいるのだろうか。誰もこのような質問に正確に答えうる者はないだろう。

 しかし、どのような時期にあろうとも、詩人の採るべき態度は一つしかないはずである。詩の中心的、決定的價値は、詩の機能のうちにしかあり得ないし、僕たちには詩の国境を守る以外に、如何なる平和もあり得ないのである。…

とあり、私には引用せざるを得ない内容である。
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追記:詩と批評Aから 2016/5/19

詩と批評A:田村隆一著の最終項にEliotの有名な詩"荒地:The Waste Land"を解説している。

APRIL is the cruellest month, breeding
Lilacs out of the dead land, mixing
Memory and desire, stirring
Dull roots with spring rain.

ウェブでサーチすると、原文の第一章は上記の文章で始まり、表記されている。なぜか中学の英文法で学んだ記述手法にそってない!APRILは全て大文字だし、次の行のLilacsは第一文字が大文字だ。恐らくEliotは"4月"を最も強調したく、次に"ライラック"や"記憶"や"鈍感な"を強調したかったのだろう。田村はそれについて何も述べてないが、ちょっと調べてみると著名詩人の全ての邦訳は原文のカンマやピリオッドでなく改行に忠実に従っている。

おやと思ったのは、cruellestだ。私レベルだと、手元に辞書がなければ"最も残酷な"をmost cruelとするかも知れない!受験勉強をきちんとやってない証拠とも言えよう。なおcruelという単語を知ったのはエレキバンドに夢中になっていた高校生の時だ。ベンチャーズの"The Cruel Sea"は演奏が易しかったので、レパートリーの一つだった。"Dull"は高校の教科書にあった諺"All work and no play makes Jack a dull boy."で覚えていた。私の場合はAll play and no workで過ごしてしまい、この有様である!

さて、Eliotの"荒地"だが、我が国の高校生も知る単語の組み合わせで表現していることに驚く。一流の詩人は易しい言葉の組み合わせで深遠なことを表現できるのだろう。ただ私には表層的訳はできるが、内在する詩的意味が全く分からないことが悩ましい。また上記には、田村の意見を全く引用してないことも申し訳ない!

追記:"THE WASTE LAND・T.S. ELIOT:大修館書店"より 2016/6/1

親父の本棚に"THE WASTE LAND・T.S. ELIOT:大修館書店"があったので読んでみた。もともと"英語教育"という月刊誌に掲載された教育大の福田陸太郎教授の記事をまとめたものとのこと。おやと思った情報は、当初この詩は評論家から酷評されたそうだ。五つの代表的な悪い評価の抜粋を記載しているが、私として面白かったのはF.L.Lucas氏の「エリオット氏は幻想的なたわごと(fantastic mumbo-jumbo)を祭壇としてその芸術的能力を犠牲に供している」との表現である。mumbo-jumboを知っている英語学者がどれだけいるかは知らないが、この言葉を知っていてとっさに使いこなせる日本人は完璧なバイリンガルのみだろう。イギリス人やアメリカ人と話していて、まず話が分からなくなることはないのだが、それは彼らが私の英語力を理解し、優しい言葉を分かりやすい発音で喋っているからだ。私の場合、彼らが互いに議論を始めると全くついていけなくなることが多い。残念!なお、この本には親父が書きこんだ引用線がいくつかあり、何に興味を持ったかが分かる。私には大切な本だ。

親父のアンダーバーは、詩の30行目"I will show you fear in a handful of dust"にもあった。福田氏の解釈だと「なお、"a handful of dust"は女予言者がつかんだ砂のことを念頭に置いた言葉で、生気を欠いた単なる寿命は"fear"以外の何物でもない、と示唆している。」とのこと。親父は"生気を欠いた単なる寿命"を恐れていたのか?これへの対処は、延命治療を拒否する書きものを残しておくしかない。親父はパイプ人間になって長期間喘ぎながらあの世に行った。当時私が担当の中年女医に親父の医学的状況を聞いたが、酸素マスクは水に溺れている状態支援、輸血は肝臓などの臓器補助、胃へのパイプと点滴は栄養補給云々で再びニコニコ笑って散歩できることは無いという。このような状態で80を超えた老人を生かしておく価値は無いだろう。まさにWaiste Landの"THE BURIAL OF THE DEAD"状態だ!私がこの本を読んでいたら親父を楽にあの世に送ってやれたと思うと痛恨の極みである。なお、私自身は、「躊躇なくあの世に送ってくれ」と厳しく伝えてある。もはや命が惜しい歳でもあるまい。
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