1951荒地詩集を読んで

知る人ぞ知る、終戦後のベストセラーとなった(食うものも満足にない飢餓のご時世だったが、多くのインテリに受け入れられたそうだ)詩集です。
●1951荒地詩集を読んで      2011/07/09

この本の出版経緯については、荒地の詩人らが残した記述によると、1948年戦後の混乱の中ほぼ完成していた版下が出版社の倒産により行方不明になり再出版となったそうだ。結局最後は早川書房から定価250円で出版された。当時の250円は恐らくかなりの価値があっただろう。その頃、私は3歳。我が家は貧しく母は農家だった実家に常習的に物乞いに行っていたとのこと。さぞかし伯父も困ったことだろう。私が就職し余裕ができた頃には引退していた伯父にお小遣いを持っていくことが私の一つの喜びだった。なにしろ私は幼児期から小学校卒業まで毎夏口減らしのためにこの伯父宅に預けられていたのだから。なおその頃伯父の家には別の従姉弟たちも何人か預けられていた!伯父には子供が8人もあり、それに我々が加わるのだから食事時はそれはもう大変な騒ぎだった。

さてシリーズ物一冊目のこの本は、インターネット書店で4750円にて購入した。後日ネットを閲覧していたら中野書店で1575円で販売していた。古書は程度にもよるが読めれば良く、私は蒐集マニアではないので勿論買い増しはしない!親父の作品はこの本に載ってなく次号1952から寄稿されている。なにしろ当時は食料のみならずインフラからなにからあらゆるものが貧弱な時代だったので田舎にこもっていた親父にリアルタイムに仲間の動向が伝わろうはずもない。それでも第2号から寄稿したということは、仲間から連絡があったのだろう。亡くなった親父には当時のことを尋ねようもない。私たち父子は会話があった方だと思うが、恐らく多くの人は亡父母に尋ねたかったことが多々あるのではないだろうか。但し、ボケ老人となった親の世話は考えたくもない!自己矛盾である。

鮎川信夫が本書の「現代詩とは何か」で述べるくだりに「戦争という共同体験を持つことによって戦後の荒地に生き残ったわれわれは、・・・依然として現代に於ける荒地の不安の意識は去らないのである」とエリオットが第一次大戦後に述べたくだりを再唱している。しかし、その後日本は召集令状を発行すること無く、大国の狭間で漁夫の利のごとく長く平和と繁栄を我が物としてきた。果たしてここにきて世界を取り巻く環境は日本のみを除外することが許されなくなっており、領土問題や宗教問題を契機に理不尽な殺戮が始まるかも知れない。現に我が国固有の領土である竹島と北方4島が外国に占領されているが、尖閣諸島がある日突然外国に占領され、引き続き沖縄本島が攻撃されても決しておかしくない。

ところで読者が荒地を読んで国粋主義者になったら鮎川信夫は怒りだすだろう、彼ほど戦前から先の戦争を憎みかつリベラリストであった人は私の知る範囲ではいない。戦前例外を除きほぼ全ての人が戦争になびき、戦後一転平和主義者のように振舞ったのだ。彼はある時期から詩作を止め評論一筋でいったが、その論調は全く変節することが無かった。それだけに書いたものに迫力があり読み手を魅了したのだ。最近の尖閣問題には、もし彼が存命ならば断固中国を非難し血をもって撃退することを訴えただろう。単に座して死を待つ平和主義者とは異なるのである。私も彼ほどに一徹な人生を過ごし、完璧な人格の形成を望みたいが、嗚呼時既に遅し。
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