田村隆一著:退屈無想庵を読んで(ディラン・トーマス)

親父の宝物が田村の酒に化けたエピソードとして記載しておきます。

田村隆一著:退屈無想庵を読んで(ディラン・トーマス) 2012/12/19

本書は日記のような形態を取っているが、1991年1月から1993年1月まで月刊雑誌「新潮45」に掲載されたものだ。この中で詩人ディラン・トーマスの記述がある。実は私がまだ学生の頃、親父から手紙が来て、渋谷の中村書店で"ディラン・トーマス"の詩集を買ってきてくれと頼まれたことがあった。学校の帰りに中村書店に行き、奥に座る有名な御主人に件の詩集を聞いたところ無いということだった。今考えてみると、およそ詩に造詣がなさそうな若造が、それもディラン・トーマスを「トーマス・ディラン」と言って買いにきたのだから、お帰りくださいということだったのだろう!私の常識から、トーマスが名だと思ってしまたのだ!その頃、ボブ・ディランは最も有名なシンガーソングライターだったことが、この間違いを引き起こしたのだと思う。思い出しても、恥ずかしい。

ディラン・トーマスは、ウィスキーの飲みすぎにより39歳で亡くなったとある。親父の詩人仲間に有名な4人の大酒飲みがいて、皆早世した。それでも皆さん60過ぎまでは頑張っていたようだが!飲める人には酒が最も簡単なストレス解消手段で、例外なく飲みすぎて死んでしまうのだ。酒以外に、ギャンブルと女があるが、いずれもコストの点に問題がある。しかるに件の4人の詩人は酒にのめり込んだのだろうか。

田村が60近くになってから出す本には、必ず親父のことが一言入っていることに気づいた。本書も最終章近くに、「・・・麦わらの燃える芳しい香り。小川の水の匂い。労働は夕べに終わり 左の肩に新月を見る というわが友、衣更着信の詩句さえうかんでくる。・・・」とある。実は、田村はLUNAなど親爺が戦前から大切にしていた当時の仲間達の詩集一式を飲み代にしてしまったことから、その償いとしていつも一言親爺の名前を入れていたのではないだろうか?貴重本LUNAなどよりも、田村の本に親爺の名前が一行出てくるだけで私には嬉しい。果たしてあの世の親父はどう思っていることやら。80過ぎてからでも「田村の奴・・・」と言っていたらから、それは親父の想い出が詰まった本当の宝物だったのだろう。

さらに、そのページには、雑誌の装丁をされた高岸昇さんという方の家でウィスキーをご馳走にになり、帰りにはマフラーまで借りたのだが、そのまま紛失したことも書かれていた。荒地では最も元気男で戦時中は航空兵(*)だった田村だが、さすがに60を過ぎ衰えとともに不義理を思い出しては自らに赦免状を発行していたのだろう。ほんとうのところは律儀な男だが、一旦飲み出すと酩酊状態までいったようだ。
 *: 実戦では一度も飛ぶことが無かったとのこと。酔っ払い操縦で三次元を徘徊すると大惨事!
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