田村隆一著:若い荒地を読んで(1)

荒地の詩人と戦争について、彼らの心情が思い浮かびます。
●田村隆一著:若い荒地を読んで(1) 2012/10/30

この本の中盤に「死人のやうに」という段落がある。全文が鮎川信夫の記述を引用しており、彼らの青春時代の全てを制御していた戦争の影響について述べている。戦争は不条理なものであることは誰しも分かっているが、彼らの青春は詩を中心に廻っていたから戦争が詩にどう影響を与えたかということが問題になってくる。ここに鮎川が崇拝するT.S.エリオットが出現するのだが、彼が早稲田の卒業論文にT.S.エリオットを選んだことにも伏線があるのだろう。20世紀最高の詩人と称されるT.S.エリオットについては、英文学を専攻する者は誰でも少々齧ったはずだ。これについては別途記述した。

さて、この段落で最も重要なことは、荒地のメンバーは全員戦争を嫌悪していたことである。勿論、職業軍人でも戦争が好きだという人はそう多くは無いと思うが!ただ権力におもねるのだか、単なる勘違いか、戦後も著名な詩人として国語の教科書に登場した詩人の多くは戦争中は愛国詩、戦争詩を書いていた。しかし荒地の詩人達はあの戦争の時代に消極的な徴兵拒否をしたり、教科書に出てくるような先輩詩人達に対して「尊敬するに足る先生無し」と言い切っていたのだ。しかし積極的に戦争批判をすることはなかったので逮捕された者はなかったようだ。ただ、LUNA(*)だったかの集会に特高警察が来ていたとの記述もある。
*: 盧溝橋事件の頃に結成された十数人の無名の詩人達のグループで、真珠湾攻撃で解散状態になった。"若草"という当時の青少年向けの雑誌の詩の投稿欄で知り合った仲間達。

「・・・僕らはときどき集まっては、兵隊に行った不運な仲間を思ひながら、愚劣な戦争詩の悪口を言ってすごした。僕らはロストゼネレェイションとして戦争の期間をすごした。(こんなことを書いて、僕は詩壇の戦犯追放をやれなどといっているのではない。詩が戦意昂揚に一役を務めたと思うほど僕は間抜けではない。・・・詩人は存在の本質を知るものでなかればならぬ。行はれている戦争の本質が何であるかということの探求を怠った詩人は、もうそれだけで失格であろう)。」とある。詩人はどうあるべきかと若い鮎川が戦争中に書いていることと、そして進行している戦争の本質までをも分かっていたことが驚きである。

これらはなんと戦時中の昭和二十年2月から3月にかけて福井の傷痍軍人療養所の病棟で書かれたそうだ。鮎川信夫がT.S.エリオットを卒論で書いていたことは、戦争と詩の相関が分かっていたということでもある。戦争の世紀を生きたT.S.エリオットや、別の書で言及したトーマスマンを鮎川が十分に読みこなしていたということである。果たして戦前からの著名な詩人等は戦争に対してどれだけ貢献したのか、はたまた抑止したのか再評価が必要だろう。鮎川によると何の効果も無いとのことだが!
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