黒田三郎と地球賞

授賞式では、親父は決して嬉しそうな表情をしてませんでした。ただ私には、親父が誇らしく思っていたことが話さなくても分かりました!

追記:2014/8/1
戦前からの荒地の詩人として加島祥造氏が存命とのことです。親父も戦前に加島氏と会っているはずです。
●黒田三郎と地球賞  2013/1/3

荒地派最盛期の頃、黒田三郎は亡父衣更着信を評価してなかったようで、衣更着の詩は「解らない」と言っていたそうだ。ところが、親父が地球賞をもらった頃には黒田が親父に賞を与えようと動いたとのこと。そもそも黒田や荒地の重鎮が選考委員だったので、彼らが決めたようなものだ。彼の老いが、若い頃からの仲間でたった一人芽が出ない親父に対する憐れみを地球賞授与という形に変えたと思う。

そういう経緯もあり親父は第一回の地球賞をもらい、その授賞式に私も行った。青山ホールだったと思うが私の予想をはるかに超える大勢の若い人が集まっており、大変驚いた。詩とはとかく解りにくいもの、小説などと異なり詩集を愛読する人がそんなにいるのかとも思ったからである。地球賞は33回で終了しており、受賞者を見たところ私の知っている詩人として石垣りんと辻井喬が受賞していた。この方たちの受賞は親父と異なり妥当と言えよう。

授賞式での出来事だが、質問受け付けとなり、壇上の親父が誰かの質問を受け付け始めたが、トンチンカンな返事をして聴衆から失笑を買った。親父は耳が遠いからと質問を断ればよかったのだが、聞こえないことを恥じており、聞こえたふりをして適当に答えるので困ったことになる。義母も相当耳が遠いが、亡父義母ともに、聞こえてなく質問が分かってもないのに適当に想像してハイと返事しないでいられないらしく、後になって問題になることが多々ある。もっとも聞えるか、そうでないかに係わらず高齢になるとあらゆることを忘れてゆき、それが老いというものであり死に至るまでに必要なプロセスだろう。忘却とは老いることである。

荒地の詩人は全滅(*)した。詩人だろうが、誰だろうが全員が間違いなくあの世に行く。若い時には将来の自画像が見えなく不安だ、しかし健康な若者は誰も具体的な死を考えたことはないだろう。私自身も幼児期・少年期の自殺願望は別として、死を考え始めたのはつい最近だ。富士通に入社来仲の良かった友人二人が50過ぎで、たて続けにガンで亡くなった時は少々こたえたが、最近は毎日のように自身の衰えに困惑している。老人のぼやきとして若い頃聞いた所謂物忘れなどが自分自身に起きているのだ。それにも関わらず、何だかんだとアグレッシブに手を出さざるを得ない自身の変わらない性格に当惑している。黒田三郎となんの相関も無い話になってしまった!

*:追記:2014/8/1 戦前からの荒地の詩人は全滅したと思い込んでいたが、加島祥造が存命だと知った。親父の書庫には加島からの謹呈本が何冊かあったが、私は詩が分からないので読んでない。そのうち読んでみよう。
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