田口麻奈氏からの資料

田口氏からの資料がなければ親父の少年時代のことは分らなかったと思います。親父は生前、私の3畳間の隅の小さい本棚に大切な本を集め。この本は自分のことが掲載された二度と手に入らない大切な本だと言いました。つまり雑誌若草などでした。今は、もう何もありません。なぜか、私の描いた油絵までもが盗難にあいました!

追記:2019/05/26

親父の詩の中には日記のようなものもあり、それが書かれた時のことが私の記憶にあるものもあります。

田口麻奈氏からの資料 2015/05/02

田口麻奈氏は、荒地を研究する学者である。かなり前のことになるが、田口氏から親父(衣更着信)が中学生の頃"若草"という雑誌へ投稿した記事のコピーが送られてきた。親父の俳句や詩など、そもそも年端もいかない中学生のものだから内容については言及に値しないが、当時の若草に寄稿した荒地のメンバー等の動向が窺われることから田口氏の研究の資料となったようだ。田口氏も述べているが、投稿した詩や俳句などより"読者通信"というカラムが面白く、投稿詩についてたとえ非難されようがそれさえをも喜んでいるような記述もあるとのこと。当時の中学生にとっては、読者欄だろうが何だろうが全国誌に自分の名前が出て、それに反応する人のあることが嬉しかったことがわかる。親父の投稿にもそれが明に感じられるところがある!

親父はそもそも目立ちたがり屋ではなかったと思うが、どうもこの世界では違ったようだ。まるで異次元空間で羽ばたくアバターのような感覚だったのだろう?私も目立ちたがりやではなかったと思うが、夢想異次元空間で羽ばたくのは好きだった。自身でそれに気づいたのは海外出張の時だ。多くの場合一人っきりの出張だったが、異国に降り立ったとたん、なんだかアバターになったような感覚だった。勿論、ビジネスとしてのミッションはあるが、そのための方法は全て自分で決められるし、むしろ決めなければならなかった。今となっては懐かしい思い出である。

さて、親父の投稿に「…"安価な感傷"題名の如く安っぽい。秋篠さんの作品はどれによらずこの傾向がある。…」と秋篠ナナ子を厳しく非難している。後年、秋篠ナナ子とLUNAの例会で会ったはずの親父は困っただろう?それともなつかしい話題として花が咲いただろうか?荒地の詩人達は面と向かって互いの悪口をいうことはなかったようだが、いざ当人がいない場ではさんざんな批評をしていたようだ。我々技術者の場合、その成果物は物理的に評価できるが、そもそも詩ともなれば数値的な評価はできないからだ!

今でも時々田口氏から送付された資料を読むことがあるが、氏が読み解く若草、令女界、LUNA、荒地という流れの中に戦中派の文学少年少女たちのことが思い浮かぶ。その中の一人である親父は中学校では何のとりえもない平凡な生徒を装いながら、若草の中では暴れまくっていたのだ。誰でもそういう自己満足がなければ生きていくことはできないだろう。むしろ人はアバターを内面に持たなければ生きていけず、それがなければ世の中は犯罪者だらけになってもおかしくない。この数年私自身の周辺で起きた事象を見るにつけ、性悪説を信じたくなる。文脈はかなり飛躍するが!
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●"<空白>の根底 鮎川信夫と日本戦後詩" 2019/05/26

田口麻奈氏が上梓した"<空白>の根底 鮎川信夫と日本戦後詩"が送られてきた。新しい本があるとどうしても読んでしまう癖があり、大変忙しい状況だったが数日で読んでしまった。心に残ったことは、鮎川が物を持たない主義で本の数冊も持ってなかったことだ。私もそうできれば良いが、一旦手に入れたものは腐るまで手放せない貧乏人根性が性格の一つとなっており、終活を迎えた現在あれを捨て、これを捨てと寂しい日々を送っている。さて、田口氏からの手紙によると鮎川が親父を「…極めて高く評価しているくだり…」とあり、それを引用すると

衣更着信とか野田理一という詩人は、ほとんど理解されていませんが、これは本当に優れた詩人です。一人は四十に近く、一人は四十を越えていますが、彼等の詩の水準はズバ抜けて高いものであり、今の詩人のレヴェルでは、ちょっと近づく手がかりがありません。高野や中江の詩は…

とべた褒め。私から田口氏への返事には「野田はさておき親父への評価は、長い付き合いのあった鮎川からのリップサービスだろうと思っています。」と書いたが、荒地を研究し、鮎川を崇拝する田口氏に失礼だったかと後悔している。"荒地"には、明日のことは誰も分からない暗黒の日々から突然開放された若い詩人達の息吹が、詩が理解できない私にでも感じられる。親父の置手紙だ。
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