LUNA

親父の足跡が残る我が家の本はほぼ読みつくしたと思っています。正直言えば、私以外の人は全く興味が無いでしょう。今後はゆっくりと読み返してみます。

親父は私に遺稿集を発刊して欲しく、自分の詩やエッセーが掲載された本には○保のマークをしていました!私が寝起きしていた3畳の間の小さい本棚は「この本棚のものが特に高価な本だぞ」と言っていましたが、それらは全て盗難にあいました。
●LUNA 2014/11/21

親父の本箱に「現代詩はどう歩んできたか:ポエムライブラリ6」創元社刊があり、木原孝一はその中の現代詩:芸術編を担当している。昭和30年発行:180円の、古い小さな本だが紙やけが殆どなく読みやすかった。この中に木原によるLUNAの記述があったので引用しておく。


LUNA 昭和十二年、当時神戸にいた中桐雅夫の編集によって刊行され、ここには鮎川信夫、三好豊一郎、田村隆一、堀越秀夫、森川義信、牧野虚太郎、戸塚孝四、衣更着信その他の当時二十歳前後の詩人が集まった。このグルウプの特徴は、前世代の詩人を一人も含まず、また特別のリイダアも持たず、しかも〈新碩土〉〈VOU〉の影響下にあって独自の立場をとったことである。その後、〈Le Bal〉〈詩集〉と改題しながら刊行を続け、太平洋戦争開戦直前まで刊行された。

非望のきはみ
非望のいのち
はげしくも一つのものに向かって
誰がこの階段をおりていったか
時空をこえて屹立する地平をのぞんで
そこに立てば
かきむしるやうに非風はつんざき
季節はすでに終りであった
たかだかと信望の精神に
はたして時は
噴水や花を象眼し
光彩の地平を持ちあげたか
清純なものばかりを打ちくだいて
なに故にここまで来たのか
だがみよ
きびしく勾配に根をささへ
ふとした流れの凹みから 雑草のかげから
いつもの道は はじまつてゐるのだ

     「勾 配」森川義信

水の悔恨がたえまない
いくへにも遠く 孤閃がえらばれて
にくたいが盗まれてゆく
ほのかに微風にもどり
かすかなもの 愛にうたせて
しづかに彫刻の肌ををさめてゐた
たへて醜をくりかへし
神の
さぐれば かなしく
まねけば さすがにうなだれて

     「神の歌」 牧野虚太郎

 この二篇はともに開戦直前に書かれ、やがてこの二人は死んだ。この象徴的とも云える詩はレスプリ・ヌウボオ運動以前の詩に直接ふれることなく昭和初期を詩人の出発とした新しい世代が、戦争という混乱期に立ち向うためにつきつめた自我の詩として、いわゆる方法論や、社会意識にわずらわされない純粋な詩のひとつの原型を示したものである。


玉砕の硫黄島から奇跡的に生還した木原が、若くしてあの世に行った二人の詩をLUNAの代表作として掲載した心情がよくわかる。昭和30年といえども終戦からわずか10年、戦争の最前線にいた彼は二人への愛おしさが特別だったのだろう。年老いた親父が「森川が生きていれば」と独り言のように何度か言ったことを思い出す。LUNA以前のことだが、親父は中学生の時森川と高松で落ち合ったそうだ。当時香川県発行の中学生向けの文芸誌があり、二人の詩や俳句が掲載されたことで知り合ったとのこと。当時この雑誌の常連は西の森川、東の鎌田(衣更着信)だったようで、親父は副賞としてバッジがもらえることに執着していたと書いている。そのバッジ類はいずこに?
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