半導体興亡史より

今日の日経を読んでいて、私の会社生活での技術的成果とその推移が合致するので驚きました。各社が繁栄することを望みます。勿論、設立2年目の我が社が最も問題ですが!
●半導体興亡史より 2014/1/12

今朝の日経"日曜に考える"の半導体興亡史コラムに"盛衰の岐路 続いた誤算"とあり、どのような経緯で日本の半導体産業が衰退したかを記述している。併記されているシェアと売上高のグラフに明に示されているが、1995年以降日本の半導体産業は全く成長せず、米国の企業が飛躍的に伸びている。この数値は如何に我々は馬鹿げた協定を締結したかということと、半導体関連の企業経営者の先読みの貧弱さと通産省の担当役人の不甲斐なさが伺える。

昨今では、半導体系に関して言えば、東芝の不揮発性メモリとソニーのCCDのみが一世を風靡しており、NEC、日立、富士通などは全滅だ。1978年頃ワイキキのクイーンズというポイントでサーフィンをしていた時、私より少し若いサーファー(ハワイ大学電子工学科の学生だった)から「お前さんをよく見かけるが、仕事は何をしているのだ?」と聞かれたことがある。「富士通に勤めているが、研修でここに来ている」というと「4Kは今いくらなんだ?」と聞かれた。4Kビットのメモリチップの値段は幾らかと聞かれたのだ。「Five bucks(当時約千円*)」というと、「Oh!」と、そんなに安くなっているのかと驚いていた。当時は(今も毎日のように上下するが)、毎日のようにメモリの値段が下がっており、その原動力は日本企業の製造技術と品質管理をからめた総合力によるものだった。各社の半導体工場と技術部は日々コストダウンと性能向上に努め繁忙を極めていた。
*:ビット単価を計算すると、0.5円/bitだ。ところが今日現在で4Gbyteが3500円だから、当時と比較するとビット単価は約20億分の1になった!メモリビジネスが如何に難しいかを示唆している。

グラフによると1995年までが日本の半導体産業の最盛期で、私の富士通における仕事の成果もそれとほぼ同様な推移だった。私は仕事(*)での成果にそれなりの誇りを持っているが、今さらながら半導体の推移に似ていることにも驚く!それ以降、日本に於ける一部の企業経営は、儲からないものを切り捨て、儲かるものに徹底するという米国流マネジメントスクールの真似事に起因する恐ろしい病が流行した。それにより幾つかの企業は売り物が無くなるという窮地に陥り、売上げ減による人員削減などとなった。商品開発を怠り、学者や官僚やコンサルタントに惑わされた無能な経営者の采配で情けない状況に陥ったのだ。このような近視眼的スタイルで企業を経営されたのでは従業員や株主はたまったものでない。
 *:マニュアル執筆やソフトウェア開発など多様な仕事をしたが、誇れる成果としてはソフトウェア開発にある。私自身は半導体開発と無縁だったが、何人かの友人が半導体に従事しており、その逸話は別途記述したい。

現在の日本の半導体産業はSONYと東芝を除きお寒い状況だが、それに負けず絶え間ない研究開発を重ねいつの日か驚くような結果をもたらして欲しい。それこそがジャパンプレミアムというものであり、いかなる困苦にも打ち勝ち最後に歓喜を得るという、我々が幼児期より教えられた日本人たる心だ。今後の世代にチャンスの場を提供することが経営者や政治家に求められるが、どうかこの困難に打ち勝って欲しいと本心から思い、私自身もそうありたい。
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