なぜドイツ旅行をする?

一度はドイツに行ってみたいと思っていました。会社勤めの頃は時間が取れず、現在経営する会社は赤字続き。それでも難関を差し置いてあの世に行くまでにやっておきたい漫遊旅行をすることとしました。
なぜドイツ旅行をする? 2019/10/16

昭和42年青山学院大学入学、理工学部は一般教養の外国語として英語とドイツ語が必須科目だった。ドイツ語は、外国に憧れていた私には興味があるという程度だった。当時は英語が第一外国語で、ドイツ語は第二外国語と指定され選択の余地は無かった。今はフランス語などが第二外国語として選択可能になっているようだ。ドイツ語はリーダーとグラマーに分かれており、余裕のある人なら使えるドイツ語を習得できただろうが、無能な私は数学に多くの時間を取られドイツ語に時間をかける余裕など無かった。しかるに、現在のドイツ語のレベルは少々特定の単語や文章や冠詞の変化などを覚えているレベルである!

さて、これまでドイツに行きたいと思っても、長い会社生活においては全く時間が取れなかった。仕事での海外出張は数十回あったが、ドイツには全く無かった。その多くが当時勤めていた富士通という会社の米国開発拠点のあったシリコンバレー(サンノゼ)だった。時差ボケでフラフラしながら提携交渉やら開発検討会議やら、若さと体力だけが頼りの技術開発に従事していたことは、今となっては当時の仲間たちと楽しく語りあえる昔話だ。当時も今もシリコンバレーはアメリカのみならず世界の技術の宝の山で、米国という自由と平等を標榜する国の技術力の象徴だろう。

話は再びドイツに戻るが、私にとって最初のドイツはドイツ村という生家のお隣の徳島県にある。第一次大戦で我が国はドイツを敵に回し大連などに駐留するドイツ軍人を捕虜として日本各地に抑留した。その一つが徳島県鳴門市の坂東俘虜収容所(*)で、私の住んでいた町からは日帰り旅行範囲にあり、子供のころ親父に連れて行かれたことがある。もうほとんど覚えてないが、親父は一人で行くより子供と行ったほうが間が持ったのだろう!何ごとにつけ私がやりたいことはやらせてくれず、ある朝突然『出陣〜』との下知が常だった。我が両親は共にマイペースで、子供の気持ちなど全く考えなかったことは、自分が子供を持って良くわかった!
*:我が国で初めて第九が演奏されたことで有名。

ここまでを読み返しても、なぜこの歳になって40日もドイツ旅行をするのかが判然としないが、ドイツ語を履修し、生家の近隣にドイツ人の痕跡があったこととしよう。いずれにせよ冥途の土産とも言えるこの歳での漫遊だが、今後しばらくは薄れていく旅の記憶を記述しておく。長い旅行中多くのドイツ人と話したが、ほとんど全てのドイツ人は私が日本人だと分かると友好的に対応してくれた(*)。旅行中に出会い話した日本人は、デュッセルドルフのバックパッカーズホテルで一緒に朝食を取った5人の若い日本人(内二人は女性)とポツダムの博物館で話したベルリンに住む中年日本人男性だけだった。PCで日経電子版とYouTubeを見ていたので、我が国の状況は把握していた。今や世界中どこに行ってもホテルや空港のWiFiは当たり前である。
*:中国人や朝鮮人には大変失礼だが、オリエンタルと称するこの3民族で我が日本人がドイツ人に好まれていることは実に幸いであった。
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