牧野虚太郎考

牧野虚太郎は所謂奇人変人の部類に入る人だったようです。そもそも詩に興味を持つ人は、私から見ればかなり変人だと思いますが、その変人達から変だと思われていたようです。

追記:2014/5/23
牧野のことを具体的に書いているものが出てきたので追記しておきます。

追記:2014/08/23
牧野に関する資料は殆どありませんが、こういうものがありました。

●牧野虚太郎考 2013.03.19

牧野虚太郎の詩を読んで、何かを感じたという人は素晴しいと思う。とにかくなにがなんだか分からないというのが私の偽らざる印象である。ただ、戦前のそれも盧溝橋事変などが勃発し明日のことは誰にも分からない状況で多感な17,8の男が書いたものと思えば、そして彼は程なく自らこの世を去ったということを知れば、読んでみようと思う人がいるかも知れない。

牧野は生涯にせいぜい十数編の詩しか書いてないようで、鮎川信夫によると彼が編集した「牧野虚太郎詩集」に載ったもの以外に、行方知れずの2編(*)しか無いそうだ。鮎川は彼の詩に特別の思いがあったから、この詩集を出したとのこと!恐らく売れなくて印刷費用を捻出するのに困っただろうと推察される。現在、世の中にこの詩集が何冊残っているか分からないが、今の私には本当に貴重な詩集である。なにしろ脈絡の無い言葉の羅列だが、これを何度か読んでいると、そして亡くなった親父も当時牧野と会話があったことを想像すると、なんとなく分かるような気がしてくるからだ。
 *:2014/3/21追記、"北村太郎の仕事3散文U"を読んでいて、「…はたして、いまは福井県に住む昔の仲間から、鮎川、牧野たちが属していた四十年前の同人誌が送られてきて、そこには鮎川が記憶に留めていた牧野の詩二篇が掲載されていたのであった。」とある。当時北村は16歳だったそうだが、彼の古い詩も掲載されていたとのこと。仲間とはありがたいものだ。私も昔の仲間や幼馴染の思いやりに大変ありがたく思っている。

この詩集のエッセンスは勿論牧野の詩そのものの重みにあるが、鮎川の書評も更にそれを助長している。当時牧野は17歳、鮎川がこの本を編集した時はおそらく彼が50の後半だろう。それだけに生き残った彼の若くして亡くなった牧野への思いが文章の節々に感じられる。それが以下の段落に明に表現されている。

「当時のたいていのモダニストの作品では、表面は反俗的な装いをこらしていても、どこかに手垢のついた文学性と密通する要素があって、見た目ほどには難しいものではなかった。しかし、牧野虚太郎の場合は、文学性の拒否という点でも徹底したものがあったので、彼の詩はモダニストのなかでも、ひときわ難解なものとならざるをえなかったと思われる。そのためかどうか、牧野の詩は、いまでも酸化を免れており、こうした初期の詩でさえ、四十年前に初めて読んだときと同様の輝きを保っていて・・・」とある。帝国海軍のパールハーバー攻撃の直前に東京に集まった詩を趣味とするたかだか十数人の多感な少年達の心情が読み取れる。

インパール作戦で死んだ森川義信が召集直前に新宿で酔っ払って呟いていたという牧野の詩を引用しよう。

  神の歌

  水の悔恨がたへまない
  いくへにも遠く 孤閨がえらばれて
  にくたいが盗まれてゆく
  ほのかに微風にもどり
  かすかなもの 愛にうたせて
  しづかに彫刻の肌をさめてゐた
  たへて醜をくりかへし
  神の
  さぐれば かなしく
  まねけば さすがにうなだれて

追記:北村太郎が牧野のことを書いていた 2014/5/23

北村太郎の「うたの言葉」(*)に牧野虚太郎の上記の詩が掲載され、この詩の"神"は、宗教的な"神"でなく、どこまでも"美"に近い或る思念であろうと解説している。さらに、牧野の印象を「鮎川は牧野と親しい間柄であったが、わたくしは同人の集いで数回会ったくらいで、こちらは無口のほうだったから、言葉を交わしたこともほとんどなかった。牧野はよくしゃべったけれど、もともと自閉的傾向の強い人だったようで、仲間のみんなとは数年のつきあいながら、死ぬ一年くらい前からはだれとの交際も絶つほどになっていた。」とのことだ。
 *:日経新聞に週一で1984年1月1日〜1986年5月25日まで連載された、詩、和歌、俳句などに関するエッセー集である。引用した詩や俳句でもって、戦前の下町の風景や、はたまた万葉の世界を詩人の感性で語るところにこの本の真髄がある。親父が大切にしていたこの本には、著者謹呈のしおりが挟まれている。この本を出版した時、北村にとって戦前からの荒地の知り合いは田村隆一と親父しか生き残ってなかったはずだ。

追記:牧野の詩について鮎川等が話し合っていた(荒地1952より)2014/08/23

鮎川 …牧野の詩は対象になるリアリティがない。いわゆる詩自体の中で完結しているという特別な言語感覚によるムードだと思う。それで絶対詩という言葉を持ち出したわけだ。ヴァレリィの純粋詩という観念を連想させる。
中桐 だからそれを牧野の詩でいうと「誰もいないと、言葉だけが美しい」というこの二行になるのだ。
鮎川 そこに牧野の、詩に対する考え方が自然に現れている。例えば「神の歌」の最後にある「さぐればかなしく、まねけばさすがにうなだれて」は、単純な言葉で書かれているけれども、そういう意味でいうとムードとして実に難解だ。しかし、この表現が絶対であるという印象を与えるムードを持っている。この詩における言葉の意味というものは、要するに普通の言語の機能を果たしていないのだ。
田村 しかも、自分の詩から意味というものを積極的に追放したというところがあるね。ところが、…

そして最後に田村が牧野を「仲間の中で最初の突然変異」と称している!それぞれに牧野に対する想いがあり、生き残った仲間達のそれからの変異をも感じさせる。亡くなった親父にも聞いておきたかった。
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