「美酒すこし:中桐文子著」と「幸福のかたち:田村和子著」を読んで

酒は飲んでも、呑まれるなといいますが、それができれば酒は飲まないのですが!
●「美酒すこし:中桐文子著」と「幸福のかたち:田村和子著」を読んで 2010/11/5

長い勤めを辞め、故郷で実母と義母の世話をしながら新ビジネスを立ち上げようと模索している。ビジネスと言っても、切羽詰まった金儲けでなく私自身の故郷での立ち位置を確保したいがためでもある。そういうこともあって、ある程度落ち着いた時間がとれるようになり、親父の蔵書を読み始めた。親父はとかく本が好きで、書庫として6畳のプレファブを建てた。本当のプレファブであり工事現場でよく見るあれである。蔵書は沢山あるが、例えば漱石の初版本などという一般的に価値のあるものは一切無い。殆どが戦後の本である。ただし、本人が最も大切にしていた同人誌Le BalやLUNAなど戦前や終戦直後のガリ版刷りのような詩集一式が、あることで全て無くなった。親父がそのことを何度も私にぼやいていたが、その経緯もここに書いておこう。

中桐文子は中桐雅夫の夫人である。中桐雅夫は親父の古くからの詩を通しての友人である。旧制中学の頃から「若草」という当時の青少年向け文芸雑誌に詩などを投稿しており、互いに意識していたそうだ。ただし、詩以外に接点は全く無いようだ。一部の例外を除いて、親父の詩の仲間全員に言えることだが、彼らは会えば詩について話し合い、会わない時でも互いの詩を通じての関係があったが、それ以外の例えば私生活面などに関しては殆ど行き来は無かったようだ。中桐雅夫は当時神戸に住んでおり、親父も同じ関西の香川県ということで親近感を持っていたのだろう。

田村和子は田村隆一の元夫人である。田村隆一と親父は戦前の東京で当時のLUNAという同人誌の詩集を媒介した詩人仲間の集まりで初めて会ったそうだ。なお、親父は地元の官立専門学校を目指し1年浪人の末失敗、明治学院に入学した。田村隆一に会ったのはその頃のようだ。田村隆一が後年「荒地の仲間」という本を書くための材料として親父に同人誌LUNAなどを送付依頼した。本を貸すとまず還ってこないということは良く言われるが、親父もそう感じており「二度と帰って来ない息子を送り出すようだった」とどこかに書いていた。恐らく田村隆一の酒代に化けてしまったのだろう。

さて、この二冊の本に共通するキーワードは酒乱である。二度の大戦を挟んで成長した文学少年の二人にかかったストレス解消が酒になったようだ。私も今では酒無くして日々が終わらないので、ある程度理解できるが、彼らの場合は少々度が過ぎていたようだ。戦争が終わって戦死という言葉は消滅しているのに酒を断てなかったのだ。詩人は死でなく詩と戦って欲しかったのだが、もしかするとそれがストレスだったのかも知れない。中桐文子氏と田村和子氏が書き残した、聞きしに勝る酒乱男とのすさまじい戦記である。
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