鮎川信夫と喫煙について

私にとってタバコは鬼門です。幼児期、祖父がキセルで吸う刻みタバコを見よう見まねで吸ってみたところ、強烈に咳き込み、二度と吸わないと思ったのが最初の経験でした。

●鮎川信夫と喫煙について 2012/12/2

「煙草もおちおち吸えぬ社会 58.3.10」を読んだが、察するに鮎川はヘビースモーカーのようである。煙草の害として、第三者である周囲の人々の健康に与える影響が大きいことが明らかになるにつけ、愛煙家は居場所を失いつつある。それについて、非喫煙者の私にとってみれば屁理屈としかいいようがない話題をちりばめ、鮎川なりに抵抗していることがおかしく、読後感を書いてみた。結論から言うと、数あるエッセーの中でもこれには鮎川の弁明に切れが全く無い。つまり、非喫煙者が嫌がることを喫煙者がやっているのだが、彼ほどの切れ者であったとしても、どう弁明しようが無理があるのだ。つまり、煙草の臭いや健康に与える害について嫌悪感を持つ人(実は私がそうなんだが)にとっては、近傍での喫煙は止めてもらうしかない。

私は幼時から映画が好きで、三歳頃から保育園を抜け出し近くの映画館に入り浸っていた。当時映画館は勿論タバコは吸い放題。火事の場面でもないのに、一条の煙どころか、そこここに煙が立ちときどき火も焚かれて(*)いた。そのような状態で長時間締め切った映画館に居ると、頭が痛くなるのだ。刺すように痛くなり、映画館から出たのちも数時間は吐き気が止まらなかった。今考えると、換気の悪い建物の中に鮨詰め、タバコは吸い放題だったから副流煙と酸欠で、ナチスのガス室なみの劣悪な環境だったことは間違いない。
*: マッチの炎だが!

なお、いつの頃か小学校の低学年だったと思うが行きつけの映画館に只で入れなくなった。切符切りのお姉さんに券を買えと催促されるようになったからだ。それと共に映画館が遠くなっていったが、映画館が禁煙となったのはかなり後のことだと思う。田舎町にもかかわらず三軒もあった映画館はテレビの普及もあいまって、一つ、二つと消え、勿論今ではまったく無い。跡地はすべて駐車場になっていることがその後のモータリゼーションの発展を語っている。当時映画館があったのは町の中心部だが、いまや我が故郷の町は斜陽を通り越し、一時期のシャッター通りまでも無くなり、歯抜けの更地だらけとゴーストタウンになりつつある。どこの田舎も似たようなものだと思うが、東京一極集中のしわ寄せであり、政治の貧困である。

最後に鮎川は「・・・一体、煙草もおちおち吸えなくなって、それがよい世の中といえるだろうか。」と言う。煙草アレルギーの私からすれば、「鮎川さん構いませんよ、あなたのお家の中でいくらでもどうぞ」と言いたくなる。25年も前の彼の言い分なので、現在彼が存命だったらエッセーの内容が変わるか、没になったであろう。この本に収集されたエッセーの中で、たった一つこれだけが私には賛成できない彼の意見だった。
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